小説

『夏の夜』平大典(『古事記』)

「ちょっと太ったんじゃねえの? 耕平くん」
 二人で坂道を登り始めた。整備されている道ではない。
 小学生の頃のかすかな記憶をたどる。道の先には、確か小さな方墳があったはずだ。おむすびのような愛らしい形をしていたが、石室の入口は積みあがっていたはずの石が豪快に崩れていて、中には入れなかった。正直、それが墓だと知ったのはずいぶん後になってからだったが。
 この坂道を歩くのは、栄治の言う通り、二十年ぶりくらいだろうか。
 明かりもないので、小石や枝で躓きそうになるが、栄治は流れる様にすいすいと進んでいく。
「そりゃ、俺ももう三十路だ。昔どおりにはいかないさ。それより。なんで」
「わからないな。俺に聞かれても」栄治は頭をひねった。「ここは坂道だ。昔話だけども、この世とあの世をつなぐ黄泉つ平坂ていう坂道があったんだと」
「ここが坂道だから、お前に会ったってことか」
 栄治は一度咳をした。暗すぎて顔色はうかがえない。
「人間の魂ってのはさ、どこにあるのかな。火葬している最中は煙になって空に上がっていくように思えるが、納骨している時は地下に潜っちまう気がする。幽霊の話しなんか聞くと、そこらじゅうに漂っている気がする」
「俺に聞くハナシじゃないだろ。死んだお前の方が詳しいだろう?」
「申し訳ないけど。まだわからないままだ」栄治は小さく身震いした。「おやじたちは元気かな」
「ご健在だ。親父さんは、地区長に選ばれてバリバリだ。お母さんも元気みたいだ。家のほうは、弟くんが東京から戻ってきて継いでいるみたいだよ」
 栄治の実家はりんご農家だ。長男だった栄治が後を継ぐはずだった。
「あいつ、ぜったい継がないって言い張っていたんだけどなァ」
「そう言うのは簡単だけども。……お前がいなくなって、相当もめたみたいだ」
「じゃあ、俺はなんにも言えないな。弟もだいぶ頑固なんだよな、親父に似て。……で、耕平くん、仕事の調子はどう?」
 俺は背中や脇に尋常ではない汗をかいていた。受け答えをしていても、上の空だった。
 幽霊を見た瞬間、俺は境内まで逃げ去ることだってできたはずだ。
 だが、それはできなかった。
 栄治は知っているのか、知らないのか。
「そこそこさ。今度係長に昇進するんだ。部下が二人もできる」
「そりゃ驚いたな。前と同じ会社?」
「ああ。変わっていない」
「で、それ以外は?」少し声のトーンが落ちた。
 俺は一度ため息を吐き、立ち止まった。

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