小説

『夏の夜』平大典(『古事記』)

 観念しなくては。
 栄治も立ち止まって振り返った。月明りを浴びて、闇の中に青白い顔が浮かんでいるようだった。
「家族が出来た。……綾子と結婚した」
 綾子は、妻の名だ。
「お前が、あいつと?」
 静寂があった。当然だった。
 綾子は、栄治の妻だった。つまり俊太は、栄治の息子だ。
 俺は言うべきことを言った。
 栄治は一度宙を睨んだ。
 ふたたび口を開いたのは、俺だった。
「さっきからあいつらがいないんだ。心当たりはないか?」
 栄治は頭を静かに横に振った。
「俺は顔を見ていないし会ってもいない、あいつらには。どんな顔をして会えばいい」
「栄治、すまなかったな」
「なんで謝るの、耕平くん」栄治の表情は笑顔に戻ったが、少しぎこちなく見えた。「あいつらを置いていったのは俺だろ」
「でも、すまない。三年前にばったり街の中で綾子と会ってさ、俺から食事に誘った。俺たち気が合ったし。それで」
「俺の墓前には報告したのかい?」
「も、もちろん。役所に婚姻届けを出した日に、綾子や俊太も一緒にな」
「じゃあ、いいじゃないか」
 後ろめたさはずっとあった。墓前で手を合わせても、晴れることなどなかった。
 妻子を残してつまらない事故で死んでしまった奴が悪いのだと自分に言い聞かせたこともあったが、俺はもたなかった。俊太が成長するにつれて、栄治そっくりの眼で見つめられると、そんな強気も霧消してしまった。
「ほんとすまない」
「謝らないでよ、耕平くん。感謝こそするけど、恨むだなんて。……あいつらのこと、頼むよ」
 優しい声だった。
 長年の心のつかえが取れたようだった。俺は言葉をこぼした。
「もちろんさ……」
「それだけじゃないのか」
 俺はまっすぐ栄治の顔を見られなかった。

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