小説

『桃太郎を待ちながら』増田喜信(『桃太郎』)

 神の子である奴が、俺に気付いていないはずはないのだ。
 俺は怒りに震えた。屈辱的だとさえ思った。この俺が、イヌやサルごときよりも下だと言うのか。
 だが、桃太郎の仲間にならないという選択肢は、俺にはなかった。
 鬼を殺して恨みを晴らし、貴族の列に並ぶ。それが俺の目的だ。そのために、俺は今日までひたすら、陰の存在に徹し、桃太郎を守って来てやったのだ。
 俺は屈辱を抱えたまま、都の西の桟橋へ向かった。鬼が島へ渡る道はここ以外にない。桃太郎は必ずここへ来るはずだ。
 俺の想定どおり、桃太郎はやって来た。
「桃太郎殿、ですな?」
「いかにも」
「私はトラと申す者。いささか力には自信があり申す。ぜひ、お仲間の末席に加えて頂きたい」
 俺は頭を下げた。本当はこんなはずではなかった。桃太郎の方が頭を下げて、俺に仲間になって下さいと頼みに来るはずだったのに。
「断る」
 桃太郎は言った。即答に近かった。
「何?」
 俺は頭を上げた。無意識に、桃太郎を睨みつけていた。
「私を仲間にしない理由をお聞かせ願おう」
「そなたからは、血の匂いがする」
「血の匂い?」
 そうだろう、当たり前だ。俺は、お前を守るために、幾多の敵を殺し、自らも血を流したのだ。
「そなたは、鬼どもをどうする気か?」
「決まっている。皆殺しにするのだ」
「その後は、どうする?」
「人間から、あがめ奉られ、富貴を謳歌するのだ」
「その邪念はまるで鬼そのものだ。そなたからは恨みと欲望の感情しか感じない」
 当たり前だ。何が悪い。俺は弟を、親友を、同志のオオカミを鬼に殺されているのだ。彼らの分まで幸せになって、何が悪いのだ。
「そなたは危険だ。立ち去るが良い。山に帰られよ」
 誰にものを言っている。俺がいなければ、お前は覚醒することもなく、とうに死んでいたのだ。俺のお陰で生きているのではないか。それが、俺を、この俺を用無しと言うのか。
「許さん」
 次の瞬間、俺の体は巨大化し、頭からは二本の角が生えた。頭が朦朧とする。だが、心地良かった。俺はよだれをこぼしながら、桃太郎を睨みつけた。
「桃太郎、殺してやる」
「やはりそなたは鬼であったか」
 俺は爪を桃太郎の脳天めがけて振り下ろした。桃太郎はひらりと体をかわすと、腰の刀を素早く抜いた。気が付いた時、俺の右手のひじから先は、宙を舞っていた。イヌが哀れみのこもった瞳で俺を見ていた。
 俺は口を大きく開け、桃太郎を噛み殺そうと、まっしぐらに奴に向かって走った。
 キジが俺の目をつつき、俺の視界は奪われた。サルが俺の足をすくって、俺はぶざまに転がり、土をなめた。そして、桃太郎の刀が俺の心臓を突いた。
 薄れゆく意識の中で、俺は考えていた。
 俺は、どこで、何を間違えた?
 一体、俺の何が悪かったのだ?
 答えを出せるほどの時間が俺に残されていないのは、明白だった。ただ、これまで漠然と考えていた、鬼がどこから来たのかという疑問についてだけは、何となく、わかった気がした。
「桃太郎、俺は、正しかったはずだ」
 体がドロドロと溶けて行くのを感じる。
 俺は最後の力を振りしぼって、桃太郎に尋ねた。
 桃太郎は肯定も否定もせず、ただ、冷めた目で、じっと俺を見下ろしていた。

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