小説

『桃太郎を待ちながら』増田喜信(『桃太郎』)

 鬼は腕をぶるんと振って、オオカミを地面に捨てた。そこから先は、俺の記憶がない。我に還ると、首を切断された鬼の死体が、大地に溶け込んで行くところだった。
俺は、勝ったらしい。俺の体も傷だらけで血まみれだった。
「オオカミ」
 俺は倒れたままのオオカミに駆け寄った。オオカミは口の端から血の泡を吹いている。
「トラよ」
 オオカミが苦しそうにうめいた。今にも命の炎が消えようとしているのは、明らかだった。
「必ず、鬼どもに復讐を。桃太郎と共に」
「わかっている。鬼どもを一人残らず殺し尽くしてみせる」
 オオカミは息絶えた。その日、俺は一晩中、月に向かって吠え続けた。

 桃太郎の成長には、案外と時間が掛かった。俺は彼の覚醒をじっと待った。
 ある時、おばあさんが川で洗濯していると、タカに襲われ、川に転落しそうになった。タカは明らかに鬼の手先だった。
 俺はタカを八つ裂きにし、おばあさんを救った。
 またある時、おじいさんが山で山賊に囲まれた。おじいさんが死ねば、桃太郎の家は困窮し、生活できなくなる。その山賊どもは鬼とは関係なそさうだったが、俺は一人残らず、そいつらを噛み殺して、おじいさんを助けてやった。
 桃太郎は神の子とは思えぬほど気弱な少年で、近所の子どもたちから、いじめられていた。きっと、覚醒するまで彼は弱いのだろう。それなら、守るまでだ。桃太郎を守るのが俺の使命なのだから。俺は、いじめっ子たちを全員殺した。

 五年が経ったある日。桃太郎はついに覚醒した。
 体はまだ少年のそれだが、これまでとは比較にならないほどの尊い霊力が全身から溢れた。
「鬼退治に行きます」
 桃太郎は堂々と宣言した。老夫婦や村の人間たちは驚いていたが、俺に言わせれば、それは当然の運命だった。
 桃太郎を無事に成長させるという、俺の最初の役割は終わった。いよいよ、最終段階だ。桃太郎と一緒に鬼が島へ行き、憎き鬼どもを殲滅する。
 俺は都に戻った。いかに桃太郎が神の子でも、さすがに単身では鬼が島に踏み込めない。仲間が必要だ。桃太郎は必ず俺に協力を要請しに都へ来るだろう。この都で、トラの名前はそれなりに有名だ。鬼どもに山を追われるまでは、人間どもに最も恐れられていたのは、俺なのだ。
 俺は喜んで仲間になろう。桃太郎と共に、人間どもの救世主として、あがめられるのだ。
 俺は都の近くを歩く旅人や行商人たちを片っぱしから襲い、金や食糧を奪って根城にたくわえた。戦争には物資が必要だ。これらはいずれ、桃太郎に差し出す。桃太郎も俺に感謝してくれるに違いない。俺は桃太郎の来訪を待った。

 桃太郎はなかなか訪れなかった。鬼が島の霊的な結界は人間には破れない。必ず桃太郎は獣を仲間にするはずだ。なのに、どうして来ない。
 俺はオオカミから引き継いだカラスの忍者どもに、桃太郎の動向を探らせた。だが、カラスどもから届いた報告は、俺の耳を疑わせるものばかりだった。
「桃太郎はイヌを配下にしたようです」
「イヌだと?」
「はい。忠義の誉れ、まことよしと」
「忠義で鬼は倒せん。必要なのは武力のみだ」
「それから、サルも配下に加わったとか」
「サル?」
「その知恵はきっと鬼退治に必要であると」
「サルごときの浅知恵に、何の価値がある」
「それから、キジも配下にしたそうです。空を飛びまわるキジこそ、鬼退治の要であると」
「お前たちカラスの方がはるかに有能ではないか!」
 何を考えているのだ、桃太郎は。
 どうして俺に声を掛けないのか。
 誰のお陰で桃太郎はここまで育ったのか。

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