小説

『レモン』望月滋斗(『檸檬(京都)』)

 刹那、ガチャリと玄関のドアが開く音がする。
 ほら、やっぱり考えた通りだ──。
 目を開けると、そこには先ほどの妄想を再現した姿で健康そうな笑みを浮かべる二人がいた。私は玄関へと駆け寄り、両手を広げた。
「パパ、苦しいよ……」
 そんな息子の訴えをよそに、二人をとにかく強く抱きしめ続けた。
 すると、次の瞬間だった。私の腕の中にいる二人が、同時に果汁を飛び散らせながら爆ぜてしまった。
 初めてレモンを買った日に聞いた、八百屋の店主の言葉が蘇る。
 ──ひとたび妄想で姿を変えたレモンは搾っちゃいけないんだ。せっかく中に詰まっていた妄想が、果汁と共に外へ出てしまうからね。
 しまった──。私は、レモンである妻子をギュッと搾ってしまったのだ。
 気づけば、玄関には二つのレモンが転がっていた。
 私はそれらを拾って目を閉じると、再び妻子が現れる妄想に耽った。だが、おかしなことに、いつまで経っても手の内にあるレモンはびくとも変化を見せなかった。
 突如として、胃の中身が煮えるような吐き気が襲ってきた。
 万能薬と化したレモンを飲もうと急いだのだが、引き出しを開けてみると入っていたのは何の変哲もないただのレモンだった。
 まさかと思い、慌てて金庫を開けた。やはりそこには純金と化したレモンなどはあるはずがなく、なんの変哲もないただのレモンがゴロゴロと積み上げられているだけであった。
 いてもたってもいられなくなった私は、部屋を飛び出してあの八百屋へ向かった。
 そして、寺町通りに入っていつもなら店が見えてくるあたりで異変に気づいた。元々あの八百屋があったその場所は、もはやなんの跡形もなくただの空き地となっていたのだ。
 唖然として地面に視線を落とすと、そこには一顆のレモンが寂しげに転がっていた。

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