小説

『チューリップの花が』太田純平(『大工と鬼六(岩手県)』)

「お兄さんがこれ、全部咲かせたの?」
 吉田の質問に、お兄さんは軽く口元を緩めた。
「それより名前だ。さぁ、俺の名前を当ててみろ。さもなくば――」
 吉田はそうだと慌ててランドセルから例のノートを取り出すと、自分で書いた名字の一覧をまるで呪文のように唱え始めた。
「高橋、伊藤、渡辺、山本、中村、小林、加藤――」
 数打ちゃ当たる作戦だ。小学校の周りで掻き集めた珍しい名字や、小野や入内島といったクラスメイトたちの名字も手当たり次第、お兄さんにぶつけた。
 すると一分も経たないうちに「もうイイ」と突然お兄さんが言った。吉田がすぐさま彼に詰め寄る。
「あったの? お兄さんの名字、あったの?」
「……」
 お兄さんは答えず、アバヨとばかりに手を挙げその場から立ち去ろうとした。
「お、お兄さん、どこ行くの? ねぇ、ちょっと待ってよ!」
 お兄さんは構わずそのまま行ってしまった。彼はついに名前はおろか、どうやってチューリップを植えたのかさえ答えず吉田の前から消えてしまったのだ。
「我ながらカッコつけ過ぎたかな……」
 お兄さんは呟きながら、自らの手の指先を眺めた。爪のところにまだ土が残っている。早朝に花壇を掘り返し、咲いた状態のチューリップを一つ一つ植えていった名残である。
 するとそんな彼の前にランドセルを背負った女の子が元気よく駆けて来た。
「お兄ちゃん!」
 入内島だった。
「お兄ちゃん、どうだった?」
「バッチリ。吉田君ビックリしてたよ」
「お兄ちゃんと私が植えたってバレてない?」
「あぁ、気付くわけないさ」
「これで私、吉田君とペア組めるよね?」
「あぁ、もちろん」

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