小説

『白狐』杉蔵一歩(『運』芥川龍之介)

 ユキの背筋に冷たいものが走った。脇の下を汗がつたっていった。
「助けてやってもいいんだぜ。その金をよこせ」ユキの口を塞いでいる大柄な男が言った。
「金を渡せば、二人とも逃してくれるんだな」勇吉が苦し気な声を出した。
「あぁ、もちろんだ」刀を持った男が頷いた。
「金を渡せ」勇吉がユキに言った。
「声を出したら殺す」
 そう言うと、大柄な男はユキの体から腕を離し、包みを受け取った。
 勇吉が足を引きずりながら、ユキの方へ近づいてきた。
 小柄な男がにやりと笑って、勇吉の背に向かって刀をかまえた。
「やめて!」
 ユキの声と同時に、びゅんと風が鳴った。
 白いものが闇の中を走った。
 刀をかまえていた男が声もあげずに、どさっと地面に倒れた。
 白いものが、男に覆いかぶさっている。人と同じほどの大きさだ。毛むくじゃらの白い体からは、大きな尾が伸びている。白い獣のようだった。
 獣は身を起こすと、今度は金の包みを持った男に向かって、飛びかかった。
「痛え! 離せ、この野郎」男が声をあげた。
 獣が、男の右腕に噛みついている。男が振りほどこうとするが、獣は離れようとしない。
 倒れていた小柄な男が起き上がり、よろよろと獣に近づいた。
「こん畜生」男は獣に向かって刀を振った。
 獣はするりと身をよけた。刃先が包みに当たり、ばさっと音がした。大きく裂けた穴から、金が勢いよく地べたに散らばった。
 男はもう一度、獣に刀を振り降ろそうとした、その時だった。
 刀が真っ二つに折れた。皆、息を呑んだ。
 獣は、「ぐぅぐぅぐぅ……」と低い唸り声をあげて、前足の太い爪で地べたを掻きむしっている。
 獣が頭を上げた。それは白い狐の顔だった。

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