小説

『白狐』杉蔵一歩(『運』芥川龍之介)

 ユキは重い包みをしっかりと胸に抱えて、行き先を照らす提灯の柄を握りしめた。
 月は雲に隠れている。黒い闇の奥からは、悲し気な犬の遠吠えが聞こえてくる。 
 西に少し歩いた所に呉服屋があるから、その四つ辻を右に曲がってまっすぐ行けば、天分橋まではそう遠くない。
 ユキは歩きながら、時々後ろを振り返った。後ろから来る勇吉の持つ提灯の灯りが、闇に浮かび上がって見えた。あまり先に行き過ぎると、勇吉の提灯が見えなくなりそうで、怖かった。
 夜の闇の中に、何かが潜んでいるかもしれない。追っ手が来るのではないか。白い化け狐が出るのではないか。提灯の柄を握る手が、だんだん汗ばんでくるのがわかった。
 四つ辻にさしかかった時だった。左に提灯の灯りが見えた。
 ぎょっとして、ユキは立ち止まった。相手がユキの顔を照らした。
 身をすくめて、ユキは二歩三歩と後ずさりをした。
「ユキさんか。こんな夜更けにどこ行くんだい?」
 声の主は、呉服屋のご隠居だった。酒臭い匂いがした。
「いえ、ちょっと……」ユキは口ごもった。
「まさか逢引きじゃあるまいな」
「そんなんじゃありません」ユキは急ぎ足で辻を曲がった。後ろから、下卑た笑い声が聞こえた。
 夢中で駆けてから振り返ると、もうご隠居の姿はなかった。
 道を曲がってからは、勇吉の提灯を見ることもできない。ふいに心細くなったユキは、来た道を引き返した。やはり、勇吉と一緒に歩きたかった。
 四つ辻へ戻り、家まで続く道の方へ曲がると、向こうに三つの提灯が見えた。 
 闇の中に、勇吉と男二人の顔が浮かんでいる。勇吉よりも大柄な男と小柄な男だった。ユキの姿に気が付くと、勇吉が声をあげた。
「逃げろ!」
 ユキは踵を返して走り出した。しかし、大柄な男が後ろからすぐに追いつき、ユキの体をがっちりと捕えた。
 別の男が、くぐもった声で言った。「金をよこせ。俺たちの助けで集めた金だろ」
 盗人連中だと、ユキは思った。大きな男の手で口を塞がれ、声を出すことができない。
 「まず、女房を殺す。次に勇吉だ」
 小柄な男は静かに言って、ゆっくりと刀を抜いた。脅すように、それを見せつけている。闇の中で、刃が鈍く光った。

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