小説

『置いてけ屋』劇鼠らてこ(『置いてけ堀(埼玉県)』)

「親父さん、いつも通り頼むよ」
「おう、焼き鳥たんと食ってけなぁ!」
「あ、うす」
 いつも通りの言葉通り、大量の焼き鳥が焼かれていく。
 気にしたことなかったけど、これ全部でいくらくらいするんだ? 俺、払えるのか?
 そんな──内心びくびくしながらの生ビール。当然味はせず──ん?
 否。否、である。
「っぷは、美味ぇ!」
「そうか? 俺ぁこの店の酒はどれもこれも微妙だと思っちゃいるが……あぁこれ、親父さんには言うなよ」
「言わねえスよンなこと……けど美味ぇ、なんだなんだ?」
 美味いのだ。美味かったのだ。
 酒が美味い。タダ酒とはいえ、タダ飯とはいえ、しけた味の店だなぁ、と思っていたのに、これだ。どうしたことか、どういうことか、めちゃくちゃ美味く感じる。あれか? やっぱり食い物には感謝が無けりゃどーたらこーたらみたいな……いやなんでもいいんだが。
「へいお待ち! 自慢の焼き鳥だ、たんと食ってくれよ!」
「……うわ」
 思わず声が出てしまった。
 なんだこれ。なんだこれは。
 凄い、テッカテカの肉も、鼻腔を突きさすタレの香りも、尋常じゃあない。油断したら涎がだらだら出ちまうくらい、美味しそうな焼き鳥の皿。
「いいぞ、先に食って」
「まじすか! じゃあ頂きます!」
「……三十つってもまだまだ若ぇなぁ、羨ましい。俺にゃもう見るだけで胃もたれの対象だよ」
 串を取って、口に運ぶ。タレとか塩とか、食べ順とか好みとか、そんなもん全く気にならない。どれもが美味い。どれもが香ばしい。これは確かに”自慢の焼き鳥”だ。今までの俺の眼は節穴だったとしか思えない。食っても食っても止まらん手に、カネのことさえどうでもよくなってくる。
 美味い。美味い。美味い。うまい。うまい。うまい。うまい!
 食べても食べても飽きがこない。くどさがない。胃にもたれない。なんだこれはと驚愕しながら、食って食って食いまくる。
「あー。俺はもう帰るわ。生の代金は払ってやるから、ゆっくりしていけよ」
「あ、お疲れ様ス。ありがとうございます!」
「おう」
 これを残していく、だなんて。
 とんでもない。食い尽くさなければ、勿体ない。
 酒を飲んで焼き鳥を食って、酒を飲んで焼き鳥を食う。付け合わせだの他の味だの、そんなのには目もくれない。俺はこれを、この肉を、食べたくて食べたくて仕方がない。「美味い」と発する暇さえ惜しい。胃が口に、早く寄越せとせがむせがむ。
「よぉ、兄ちゃん。置いてかれちまったな」
 話しかけてくる親父さんに、しかし目を向けるだけで返事が出来ない。口に焼き鳥が詰まりすぎてて、どうしようもない。飲み込めばいい。咀嚼すればいい。だが、次から次へと手が運ぶのだ。空白の時間を作るなと。味の無い時を作るなと。
「置いてかれちまったらどうなるか、わかってるよな?」
 頷く。咀嚼しながら頷く。

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