小説

『あっても、なくても』松ケ迫美貴(『こぶとりじいさん』)

 そこまで考えると、慧くんのことがたまらなく悲しくなって、あたしは缶に残っていたビールを一気に飲み干したのだった。
「参ったね」
 そういってタクヤさんはあたしの肩にもたれてきた。うすうす感じていたけれど、これってそういう雰囲気だ。あたしは迷う。タクヤさんの思惑通り、慧くんと夕夏に仕返ししてしまおうか。
タクヤさんと目が合う。
「それ、糸ついてんの?」
「まだついてますよ」
「え、見たい。見てもいい?」
 どうぞ、とテープに手をかけようとしたあたしの手を掴んで、タクヤさんの顔があたしに近づく。
あ、と思った。この顔、見たことある。映画を撮るときと同じ顔。
 その瞬間、こんなにも簡単に、タクヤさん好みのシーン割に使われる自分がとてつもなくダサく思えて、あたしは思いっきりタクヤさんの胸元目掛けて嘔吐したのだった。

 アルコールと涙でパンパンになった目を見て、クリニックの先生は「浮腫んでますね。まあ、大丈夫でしょう」と言った。 そのまま手術台に寝かされて目を閉じる。
「ちょっとだけチクッとしますよ。大丈夫。トゲを抜く程度ですから」
 先生がいった通り、チクンとプツンの中間のような、小さな痛みが走る。皮膚が引っ張られ、何かが抜けていく感覚。
「あと少しですよ」
 痛みに耐えながら、あたしは昔読んだ「こぶとりじいさん」の絵本を思い出していた。おじいさんのほっぺからぷつんと切り離されるお餅みたいな大きなコブ。そう、あれと一緒なのだ。いらないものを、取ってもらっているだけ。
 糸の取れた目頭はすこしだけ赤くなっているけど、傷はそんなに目立たなかった。整形前と整形後の写真を比べて、ようやく気付くような、そんな微々たる変化だ。糸がついたままのときのほうが、整形してます感があって好きだったかもしれないとまで思った。
 コブを取られたおじいさんも、もしかしたらそうだったのかもしれない。大きなコブを二つ付けて帰ってきたおじいさんを見て、そっちの方が人生楽しそうかもなんて思っていたのかもしれない。人生なんてそんなもんだ。結局は自分が主人公になって楽しめるかどうかなのに、どうしてみんな難しく考えるのだろう。こんな簡単なことを難しく考えてしまうから、きっと慧くんは夕夏と寝てしまったのだ。

 これから、あのカフェで慧くんと会う。別れようと思っていた。
 テラスから窓をのぞくと、慧くんは前と同じ席で居心地悪そうに小さく縮こまっていた。あたしはそんな慧くんが好きだった。おしゃれな映画の端っこで、背景と同化しているような、そんな優しい慧くんが好きだった。でも、慧くんはずっと映画の登場人物になりたかったのかもしれない。だったら、あたしと同じだねって、この腫れた目で笑いかけたい。

1 2 3 4