小説

『あっても、なくても』松ケ迫美貴(『こぶとりじいさん』)

 クリニックを出て、エレベーターに乗った瞬間、鏡に張りついて自分の顔をまじまじと眺める。目頭にくの字に張られた肌色のテープ。思ったより、全然腫れてない。だけど、顔全体の印象が変わった気がしてうれしくなる。離れ目で、子どもっぽく見える顔が嫌だったのだ。それを改善したいと思うのは、そんなにおかしいことなのだろうか? べつに慧くんが言うような難しいことなんて、ひとつもない。単純に一個、一個、自分の嫌いなところをなくしていっているだけなのだ。
『整形したよ』と慧くんに連絡したけれど、返信はなかった。きっと、慧くんは勝手に責任を感じて、勝手に傷ついているんだろうなと思った。
 カフェで話してから、一週間ほど慧くんから連絡がきていない。夕夏の話では、どうやらサークルのメンバーとは飲みに行ったりしているようで、特に変わった様子はないみたいだ。
 大学に入学してすぐ、夕夏に誘われて映画サークルに入った。映画を見るのが好きな人が三人。夕夏みたいなちょっと演技をかじってる人が二人。あたしみたいな何となく入った人が四人。
そして、映画を作りたい人が二人。
 慧くんもタクヤさんもどっちも映画を作りたい人だった。でも、サークル内で撮る映画の監督はいつもタクヤさんだった。タクヤさんのほうが年上っていうのももちろんあるけど、もっと単純にみんなタクヤさんが好きだった。タクヤさんのほうが全体的におしゃれだった。慧くんだって、目立たないけれど顔をちゃんとみたら整ってはいる。だけど、もっと根本的な、存在としての出来が、タクヤさんのほうがおしゃれなのだから仕方ない。
 おしゃれなタクヤさんは、おしゃれな夕夏と付き合った。もともと大人っぽかった夕夏は、もっとクールで達観した感じにふるまうようになった。そっちのほうがタクヤさんに似合ってるからだ。あたしは夕夏のそういうところが好きだった。

 タクヤさんに呼び出されたのは、もう終電に近い時間だった。慧くんのことで話したいことがあると言われたから、てっきり夕夏もいるものだと思っていたら、アパートの部屋にいたのはすこし酔っ払ったタクヤさんだけだった。
 タクヤさんがいうには、夕夏と慧くんがこの前の飲み会の後、ふたりでホテルに泊まったらしい。詳しい経緯はわからないけど、ばっちりホテルに入っていくふたりの後ろ姿の写真がサークル仲間から送られてきていた。
 夕夏が雰囲気に流されやすいことも、慧くんがお酒に弱くて、そして何よりタクヤさんのことが大嫌いなことも知っていたから、あたしはそんなに驚かなかった。ただ、ダウンタイム中だけど、タクヤさんに煽られるままお酒を飲んだ。
「夕夏もだけど、慧が浮気なんてするやつだとは思わなかったな」
 ビール片手に芝居がかった口調で、タクヤさんが言った。タクヤさんも、たいして傷ついていなさそうだった。ふたりの浮気よりも、整形したばかりのあたしを面白がっているようにも思えた。今の状況は、ちょっと悪趣味で、でもちょっとポップな、タクヤさんの映画と似ている気がした。
 タクヤさんなら、あのカフェのシーンをどう撮るだろう。好きでもないビールを口にしながら、あたしは想像する。たぶん、真剣に話す慧くんの合間に、ほかの人がくるくる飲み物のかき回すシーンだとか、あたしが付けてたさくらんぼのピアスとか、そういう関係のないものを織り交ぜながら、何となくおしゃれな雰囲気の映像を作るんだと思った。あたしと慧くんはただの雰囲気作りで、タクヤさんはきっとあのカフェにいないだれかを主人公にした映画を作るんだろうなと思った。

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