小説

『それがわたしの復讐だ』小山ラム子(『さるかに合戦』)

「うわっ! あぶな!」
 危うくコンソメスープをこぼすところであった。教室から保健室までは結構な距離がある。
「失礼します」
 保健室の中央にある机にはすでに一人分が用意されている。事前に担任の先生が持ってきてくれているのだ。先生が一緒に食べていたときもあったが、むしろぎくしゃくしてしまったらしい。それから先生に様子をみてくれないかとお願いされるようになったのだが、頼まれなくても来るようになっていたと思う。
「佳苗ー来たよ」
カーテンの向こう側に声をかける。シャッとカーテンが開いて、佳苗がわたしを見てにっこりと笑った。その目の下にはクマがある。
「いつもありがとね」
「わたしが一緒に食べたいんだからさ」
「教室に行けたらいいんだけど……」
「いいってー。向こうで食べるのわたしだって嫌だしさ」
 これは嘘ではなかった。わたしだってあの空間は息苦しい。特定の人の笑い声だけが響くあの空間。
「次の家庭科でれそう?」
「えっと……多分行かないかな」
 聞くまでもなかった、と後悔する。それはそうだ。だって家庭科室での席だとすぐ近くにあいつがいる。
「ねえ、やっぱり先生に相談しようよ」
 そう言ってみるが、佳苗はいつも通り困ったように微笑んだ。
「いいよ。もうちょっと我慢すればいいだけだし」
 もうちょっと、といってもこの中学を卒業するまでにはあと半年もある。だけどわたしからはそれ以上言えなかった。
「そっか……でも無理しないでね」
「大丈夫。みっちゃんがいれば十分。それに漫画描ければ楽しいし。ほら、見て」
 佳苗がスマフォの画面を開く。そこには漫画の画像が表示されていた。
「あっ、すごい! ちゃんと漫画っぽくなってる!」
「うん。今度読んでくれたらうれしい」
「もちろん! 楽しみ!」
「それでね。もし勇気でたら投稿サイトに載せてみようかなと思って」
「え! 本当⁉」
「うん」
 佳苗は絵が上手だ。それだけではない。物語の構成力だってある。
「みっちゃんがいつもほめてくれるから、ちょっと自信ついてきて」
「いいと思う! わあ! ますます楽しみ!」
 昼食を終えて、空になった食器をのせた二人分のお盆を持って保健室を出る。教室に向かう足取りは重い。
うちの中学校は進級するごとにクラス替えがある。佳苗は二年生で同じクラスになり仲良くなった子だ。三年生でも運よく一緒になれたのだが、平和に過ごせたのは数か月間だけだった。一人の女子生徒のせいで佳苗は保健室登校になってしまったのだ。

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