父親が株で失敗して多額の借金を抱えてしまい、当時住んでいた家も手放し、この団地に親子3人で暮らすことになる。
突然帰ってきた息子に、母は弾んだ声で「お帰り~。王子様、昼ごはん食べた?」
狭い食卓には、妹が座って食べ始めていた。
先ほど隣人の作った遅い朝ごはんを食べたばかりだったから
「ありがとう。いいや」と言って以前自分が使っていたイスに座ると、妹が顔をしかめて「お母さん、王子様って、ほんとに気持ち悪いんだけど」
「あら、そう。お母さんにとっては、お兄ちゃんは生まれた時から王子様だし、あなたは、お姫様なのよ」と澄まして、野菜炒めを食べる。
「悪いんだけど、ちょっと、金借してくれないかな」と俺は、母の顔色を伺いながら言う。
「お金?いくら?」
昨日あった事を正直に話し「だから、とりあえず、1万円でいいや」
「そんなんでいいの。しばらく困るでしょ」
「もう~、お母さんは、お兄ちゃんに甘いんだから」
その後、新しい電話を購入したり、不動産屋でスペアキーをもらったりしていたら、すっかり夜になってしまった。
隣人の部屋をノックするとメガネをかけた隣人が顔を出す。
また、胸がドクンと高鳴る。
用意した小ぶりのお花のブーケと借りたお金を差し出すと
「え~お花!嬉しい~」
隣人の満面の笑顔に照れながら
「お部屋にドライフラワーが飾ってあったし、お花が好きかな~って思って」
「ありがとう~。ほんと嬉しい」
「あ、あの…名前聞いてなかったなと思って」
じっと、俺の目を見つめて「春日…よしお」
「春日さん。改めて、荒木翔太、29歳です」
「あら、29歳。同じ歳じゃない。私は、ヨシミンって呼んで」
「ヨシミンさん。ほんとに助かりました。えっと、これからも、その…」と
言い淀んでいると「こんな変な出会いだけど、一晩を過ごした中だし、何しろ、隣同士だしね。よろしくね」
「一晩を一緒に過ごした」と言う言葉にかぁ~と頭に血が昇る。
耳まで真っ赤になっているであろう顔を背けて俯く。
「いいじゃない~こおゆうの」と弾んだヨシミンの声に俺の心も弾んだ。
それから、度々、ヨシミンの部屋を訪問するようになった。