小説

『煙と消える』はやくもよいち(『子育て幽霊』)

空は五月晴れだが、坂道を下る桜の胸には、沸き立つ黒雲が浮かんでいた。

 
七夕は曇りか雨降りが多いというけれど、今年は梅雨晴れだった。
桜と智司はまた、シネコンに来ている。
ゴールデンウィークが明けて以来、桜は毎週末のデートを彼に強要していた。
大学の授業もほぼ同じ選択なので、毎日のように一緒にいる。
彼が幼なじみの知代と顔を合わせる機会も減っただろう。
桜の顔には交際を始めた頃のような笑みが戻っていた。
これから観る映画は、幽霊になった男性が心を残した女性を陰ながら助けるという、智司の好む現代ファンタジーだ。
見終わった後は彼の家で、夕食をご馳走になる約束を取り付けている。
「母さんが昨日から張り切っちゃって」
晩飯が楽しみだと言いかけた智司が、前のめりによろめいた。
突然、後ろから背中を突き飛ばされたのだ。
「智司、何してんの? ぼうっとして」
ストレート・ロングの女性が、彼の腕を掴んで引き上げる。
そのまま巻き付くように腕を絡め、体を密着させた。
「知代か。いきなり後ろからどつくなよ」
「ごめんね、デート中だって知らなかったから」
彼女はうっすらと化粧をしていて、ずいぶんと大人びて見える。
智司は桜に、「俺の幼なじみだ」と紹介した。
「美園知代です」
会釈のついでに身を屈め、彼の腕にブラトップの胸を押し付けた。
髪が逆立ってくるのが分かる。
知代は腕を抱きしめてから離し、身を翻してふたりから遠ざかる。
「邪魔しちゃったかな。智司、今度は上手くいくといいね。じゃ、ごゆっくり」
知代は背を向け、足早に住宅街へと続く坂道に向かった。
明らかな宣戦布告に、桜は茫然と立ち尽くす。
脈打つ音が耳に響く。
智司が後ろ姿に手を振っているのを見て、桜は我に返った。
「幼なじみだっけ? 本当に仲が良いのね」
彼女の声に含まれる棘に智司は気づかない。
いつもの癖で頭の後ろをかいた。
「映画の前にお茶でもするか」
「するわけないでしょ。智司なんて知らない!」
顔に向かって言葉を叩きつけた。

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