小説

『煙と消える』はやくもよいち(『子育て幽霊』)

「息子が彼女を家に連れてくるのは、母親にとって特別なイベントなの」
直美のコメントに続いて、玄関のドアが閉まる音がした。
静けさが訪れ、壁掛け時計が秒を刻む音が響く。
桜がうっすら温もりを増してきた頬に手を当てると、リビングのドアが開いた。部屋に飛び込んできたのは、智司ではなかった。
ワンサイズ大きいロングTをざっくり着こなした、17、8歳の少女だ。
背の高さは、桜と同じくらい。
ツインテールの黒髪を緑色のリボンで結んでいる。
「ごめんなさい。お客さん来てたなんて」
少女は手慣れた様子で食器棚からマグカップを取り出し、ティーポットの紅茶を注ぐ。
呆然とする桜を尻目に、カップを胸元に抱えてドアのところへ戻る。
少女は再び口を開いた。
「ガールフレンド? 智司、もてるんだ」
返事も聞かず、廊下へと姿を消した。
瞬きを忘れ、開け放しのドアを眺めていると、智司が戻って来た。
桜は、妹さん? と問いかける。
「うちは両親と俺の3人家族だけど」
首を傾げていた彼は、ふいに人差し指を立てた。
「それは知代だな。俺らと同じ歳だよ。幼なじみ。ふらっと来ては、おやつ食べてくんだ。母さんがいつもぼやいてる」
桜の目が細められ、唇がきつく結ばれた。
智司の部屋で、少女が紅茶を口に運ぶイメージが浮かんだのだ。
「知代を呼んでくる。君を紹介するよ」
返事も待たずに廊下に出たが、彼はすぐに戻って来た。
照れくさそうに頭をかきながら桜の向かいに腰を下ろして、冷めた紅茶を口に運んだ。
幼なじみを呼びに行ったことを、なぜか忘れてしまったらしい。
「母さんに叱られたよ。ガールフレンドを家に呼ぶときは、前もって言いなさいって」
智司は耳まで赤くなった。
桜は両ひじを抱いて、ソファに深く腰掛ける。
先ほどまで紅潮していた頬は、血の気が失せていた。
ピンクのルージュをひいた唇が開きかけたが、言葉は出てこない。
智司は映画の感想に話題を移したが、会話は弾まなかった。
気まずい沈黙が続くうちに、直美が帰って来た。
桜は彼の家を出た。
駅まで送っていくと言われたが、「ひとりで帰れるから」と断った。
陽はまだ高い。

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