小説

『煙と消える』はやくもよいち(『子育て幽霊』)

「ご相談があります。聞いていただけますか」
店の入口ちかくに置かれた豚の蚊遣りから、ひとすじ煙が立ち昇っていた。

7月15日、関東ではお盆だ。
桜は直美と一緒に智司の産みの親、美園知代の墓参りに来ている。
手桶の水でていねいに墓石を洗い、花を供えた。
知代が墓石の向こう側に立ち、ふたりの様子を眺めていた。
今日は30歳前後の既婚女性に見える。
彼女が亡くなった頃の姿なのだろうか。
線香を焚いて手を合わせると、知代が声をかけて来た。
「そんなことをしても無駄よ。私はこれからも智司と一緒にいるの」
桜が黙って見返すと、顎先を上げて見下ろしてきた。
「あの子が結婚する時は、私もウェディングドレスを着て参列するんだから」
知世の妄想は、暴走していた。
直美が声を抑え、言い返す。
「智司は喜ばないと思いますよ」
知代は目を怒らせて一歩踏み出そうとしたが、玉砂利を踏む音に動きを止める。
並んだ墓石の角を曲がり、智司が声をかけてきた。
「母さん、遅くなってごめん。桜! 君も来ていたのか」
知代は慌てて墓の後ろに姿を隠した。
さすがに自らの墓前で、息子と顔を合わせられないのだろう。
桜と直美の読みどおりだった。
知代の姿は見えず、気配だけがする。
成り行きをうかがっているようだ。
「直美さんに誘っていただいたの。あなたを産んだお母様のことも、聞いたわ」
「産んでくれた母には感謝しているけど、僕を育ててくれたのは母さんだから」
智司は桜の横に並んでしゃがむと、胸の前で手を合わせた。
桜は充分に検討を重ねた言葉を、彼の耳にささやく。
「智司さんとお付き合いさせていただきますって、ご報告をしたくて」
「その必要はないよ。僕らもう、成人しているだろ? それに……いつまでも心配していたら、成仏できないよ」
智司は直美に渡された線香を台の上に置く。
「今の僕には、君の方が大事だからね」
智司は大らかな声で告げると、手を合わせて目を閉じた。
桜は彼の横顔に見惚れてしまった。
あわてて目をそらし、前を向く。
知代が涙で頬を濡らしていた。
言葉もなく、煙のように消えつつあった。
愛する息子の成長を確かめ、彼女はこの世を去っていく。
気がつけば、直美が目を赤くしていた。
智司が驚きの声をあげる。
「母さん、どうして泣いているの」
直美はただ首をふる。
「お線香の煙が、目にしみたのよ」
答えた桜の頬を、さっと涙が流れた。

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