「いいだろ」
まあいいか。
山川の家は大学から十分程歩いたところにあった。洒落た低層マンション。地方から出てきて、一人暮らし。かなり裕福な家庭みたいだ。なんせ山川はバイトをしていない。親からの仕送りだけで生活している。学費も親持ち。母子家庭のおれには羨ましい限りだ。
部屋に入るなり、山川はまっすぐ洗面所に向かい、おれが手を洗うところをしっかり隣で確認すると、座る椅子を指定し、CDコンポの再生ボタンを押した。流れ出したのは知っている曲だった。アーマッド・ジャマルの『ジ・アウェイクニング』。
「ジャマル、おれも好きだよ」
「まじ?」
「マジ」
「そうか」
山川はうっすらと微笑んだ。へえ、そんな顔で笑うんだな。ついでにケツの下で冷たくなっているハンカチについて小言を漏らそうと思っていた(おれはバイキンか?)が、すっかりどうでもよくなってしまった。
「お茶とコーヒーどっちがいい?」
「コーヒーがいいな」
「わかった」
山川がキッチンでコーヒーを淹れている間、おれは部屋の中をぼんやりと眺めた。1DK。ダイニングとキッチンは引き戸で区切られている。真っ白な家具ばかりなのが実に山川らしい……と言っても、あるのはテーブルと椅子と、コンポとCDラック(三枚しか入っていない。ジェリー・マリガン、リッチー・バイラーク、今かかっているジャマル)と、ベッドと観音像だけ……。
観音像?
部屋の中で、その観音像だけがひどく浮いていた。宗教にでもハマってんのか? と思い少し身構えたが、どうにも山川らしくない。観音像はひどく薄汚れていた。間違っても潔癖症の人間が寝台に置くようなもんじゃない……。それだってのにそいつは我が物顔で鎮座している。おれですらハンカチが必要なのに……。
そんな具合で観音像を眺めていると、マグカップ二つ(これも白だ!)を手に山川が戻ってきた。
「その像が気になるのか?」
「ああ……あれ、あんなところに置いてもいいのか?」
山川は少し驚いたような顔をしてから言った。
「あれはいいんだ。願い事をするためのものだったから」
「願い事?」
だった?
山川はおれにマグを手渡すと、コーヒーをすすりながら観音像を持ってきて、テーブルの上に置いた。
「マリア像だよ。珍しいだろ。黒衣を羽織ってる」