小説

『ブラックケープ ・マグダラマリア』泉鈍(『黒衣聖母』芥川龍之介)

 つられておれも笑った。
「それで、肝心の願い事はどうなんだ?」
「どうだろうね。こうして君と話もできたし、なんだか叶いそうな気もする。今日はありがとう。本当に助かったよ。また教室で見かけたら声をかけていいかな?」
「ああ、構わないよ」
「もっと早く、君に話しかければよかったな……」
「はは……」
 外に出ると、日はすっかり暮れていた。

 山川にペンを返すのを忘れたことに気づいたのは、ちょうど大学正門前の交差点にたどり着いた時だった。赤信号で立ち止まって、ポケットに手を突っ込んで気が付いた。ああ、ミスったな。まあいいか。来週の月曜の講義で返せばいい……。信号が青に変わる。歩き出そうとして身体が固まった。信号待ちの車線の先頭に霊柩車が停まっていた。顔中の毛穴から汗が吹き出るのを感じた。マジか。マジで出た。携帯を取り出してカメラで撮影しようと考えたが、金縛りにあったみたいに身体が動かない。ならば、と思って運転席を覗こうと目を凝らすが、スモークが貼ってあるのか中の様子がてんでわからない。そうこうしているうちに信号が点滅を始めた。チカチカチカチカ……。霊柩車は静止している。見つめるうちに、フロントガラス越しに、中で白い布のようなものが動いていることに気が付いた。ガチャリと音がし、後部座席の扉が少しだけ開かれた……かと思えば、またすぐに閉じられた。ガチャ、バタン! ガチャ、バタン! ガチャ、バタン! ドアが開閉する度に白い布のようなものがチラチラと見える。おれは瞬きをするのも忘れ凝視した。ついに信号が赤に変わる。おれは声を張り上げようとする……が、喉がカラカラに渇いていて叶わない。ブゥーーーンと唸りを上げ、霊柩車が走り去っていく……。運転手の顔も、後部座席に乗っている人の顔も見えなかった。ただ、もがくように車内で舞っていた白い布らしきものが目に焼き付いて離れなかった。

 翌週、月曜の一限目。山川はいつもの席にいなかった。代わりに別のやつが座っている。珍しいこともあるもんだ。早く霊柩車のことを山川に伝えてやりたかった。でも、まあ、来週には来るだろう。おれはじっと機会を待つことにした。教室の後ろの方では相変わらず例の集団が笑い声をあげている。今日ばかりはそれが少し妬ましかった。講義が終わると、足早に出口を目指した。途中、はしゃぎ立てる例の集団の一人とぶつかった。おれは尻餅をついた。頭上から陽気な声が降り注ぐ。
「あ、ごめん。大丈夫か?」
「いや、大丈夫」
 差し出された手を制して立ち上がり、相手の顔を見て仰天した。ぶつかってきたのは山川だった。おれは混乱しながらもなんとか口を開いた。
「なんだ、後ろの席にいたのか? あ、これ、ペン。ほら、ずっと借りっぱなしだったろ」
「ああ! なくしたと思ってたんだ。ありがとう」
「いや、いいんだ。それより山川、おれ見たよ。霊柩車。まじで出た」
 一拍おいて、山川は答えた。
「なんの話?」
 これには本当に参った。

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