小説

『きってむすんでほどく』平大典(『運命の赤い糸』『続幽怪伝』)

 昼過ぎから降り始めた雨は、収まる気配がまるでない。
 国道から少し外れた場所にある喫茶店では、数人の客が雨などお構いなしの様子で、おしゃべりしている。
「でさ」目の前にいる齢三〇歳の松尾さんも同じだ。半笑いを浮かべ、口ひげを弄っている。「その後輩の『赤い糸』を右手の小指に結びなおしてやったんだけど、しばらく経っても、交際したとかって報告がなくてな」
「なんでですか?」僕はエスプレッソを一口含む。「まさか、松尾さん、間違って切っちゃった、とかないっすよね?」
「いくらオレでも、そんな天然ちゃんみたいなことはしないってば、羽場君」
 僕は辺りを見回す。店内にいる客の一人一人から赤い糸が出ている。人が多いところへ行くと、赤い糸だらけに見える。
 隣に座っている男女のカップルは、左手の小指同士が『赤い糸』でつながっている。多分、結婚するのだろう。
 店の奥に座っている僕と同じ年くらいの大学生カップルは、それぞれの赤い糸がまったく別の方向とつながっている。多分、別れるのだろう。
「ううん」僕は頭をひねった。「なんすかね」
 誰にでも、赤い糸が見えるわけではない。僕が知っている限りでは、松尾さんだけだ。あるとき、僕が通うキャンパスで、助教授の女性教員の赤い糸を結びなおしているところを発見した。
 僕ら以外にもいるはずだが、会うことはなかった。
「で、相手のキャバ嬢にこっそりと会いに行ったんだよね。そしたら、相手の結び目が、左足の人差し指に変わってたんだよ」
 松尾さんは、溜息を吐いて、アイスココアを飲み干す。口ひげにアイスココアが少しついている。個人的な感想だが、松尾さんの口ひげはに似合っていない。違和感があるのだ。顔に毛虫が乗っているようだった。
 出会った当初から気になっているが、本人は愛着がある様子なので、何も言えない。
「で、どうしたんすか?」
「まあ、別に。後輩の赤い糸を結びなおして、成功させたよ」
 赤い糸を両者と同じ位置に結びなおすと、二人はたちまち恋に落ちる。
 僕たちはまさに縁結びができる存在なのだ。これが超能力なら、まあそこそこ、という気はする。
「左様ですか」
「で、羽場君は調子どう?」松尾さんは話題を変える。「カノジョさんとはうまくいっているのかい?」
「まあまあっすね。今日もこれから一緒に飲み会に行くんですけど」
「いいねえ。愛があるってのは。うちなんか、もう奥さんに怒られてばっかで、殺されるんじゃないかって」
「でも、糸でつながっているんですよね?」

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