小説

『赤ずきん』小町蘭(『赤ずきんちゃん』)

 フリッツは狼の足跡を追って駆けて行きました。と、突然「坊や!」と呼ぶ声がしました。足を止めると木の茂みの中から猟師が一人現われ出ました。
「どうしたんだい、そんなに急いで」
「赤ずきんが狼に連れて行かれちゃったんだ」
「狼に? それはまずい。しかしそもそもどうして森へ?」
「アンナおばあさんに麦酒を届けに来たんだ」
「そうか、わかった。君はアンナおばあさんのところへ行って家の中で避難していなさい。赤ずきんは私が助けに行こう。さあ、行って」
 フリッツは頷いてアンナおばあさんの家の方へと走って行きました。
「あの狼め、また出やがったな。赤ずきん、どうか間に合ってくれ」
 猟師は狼の足跡を追って走り出しました。
 赤ずきんは狼にある洞穴へ連れてこられていました。スーツを脱いだ狼は麦酒を呑み、プレッツェルと腸詰に食らいついていました。
「私たちを騙したのね」
「そりゃ獲物を捕らえるんだから当然さあ。お前達人間だってやっていることだろう」
 赤ずきんは狼をじっと睨みました。
「文句が言えるはずがねえや。この腸詰だって家畜だろうが」
「もし私があなたより強かったらあなたを絞め殺してやっているわ」
「はっは! 威勢のいい娘だなあ。その気の強さじゃあお前はきっと生まれながらのフェミニストだな」
「そう言ってもらえて光栄だわ。ところであなたは一人で暮らしているの? ご家族は?」
「いない」
「お友達は?」
「いない」
「そう。じゃあ結構寂しいんじゃないかしら」
「いいや。俺はそんなことを考えたこともない。俺は生命を全うして生きているだけだ。腹が減ったら食う、食ったら寝る、起きて、腹が減ったら食う、そして寝る。食う、寝る、それだけだ。お前達人間は随分難しく生きているそうじゃねえか。日本の小説にめしを食べなければならぬということが難解だの脅迫だのと言った男の話があったな。俺のような獣から言わせりゃあの男こそ難解だ。あの男は難しい男だ。人間が恐いだの、罪がどうだのと随分思いつめている。あんな風に生まれついたら不幸だ。空腹がわからぬなどとも言っている。とんでもないことだ。それこそ恐ろしい話だ。生き物の生活とはもっと単純なもんだ。腹が減ったら食う。それだけだ。まああの男は金持ちのお坊ちゃんのようだから文化的に暮らしすぎておかしくなったんだろう」
「あの小説のことはあなたのような愚鈍な動物にはわからないわ」
「へっ。人間は気取っていやがるぜ。これだからお前達人間は嫌なにおいがするんだ。虚栄のにおいが鼻をつくぜ。話が逸れたが俺は今腹が減っているんだ。だから獲物を探して、お前を捕まえた。だから俺はお前を食う権利がある」
「そうね。そこは筋が通っていると思うわ」
「なら食われてもいいんだな」
「異議なしよ」
「物分かりのいい娘だ。大人しくしてりゃあ痛くはしねえぜ」
 赤ずきんは手を組み、うつむいて目を閉じました。
「神様」
 狼は赤ずきんを丸呑みにしました。
「こりゃうめえご馳走だったぜ。だが若い柔らかな奴がもう一人いたな。くんくん。いいにおいがするぜ。あっちだな」

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