そこにはこのきらびやかな世界には不釣り合いな地味な中年女がいた。
ライトで影になった目の下のくぼみ。はっきりと分かる白髪とほうれい線。
美しすぎるその靴に手を伸ばす女はまるで、宝物に手を伸ばす老婆の盗人だった。
恐ろしくなった私は、走ってその場を去った。
あれから一週間、いつもの仕事をこなしながらも頭の中はあのハイヒールの事でいっぱいだった。あれはそう、昔大好きだったシンデレラの靴の様。自分が子供だった頃母が良く読んでくれた。娘が小さかった頃、私もよく読んだ話。白雪姫や眠れる森の美女も好きだったがシンデレラが一番好きだった。王子さまに見染められて幸せになるところは一緒だけど、シンデレラは華やかな世界にあこがれを持って、妖精の力は借りたものの、自分からお城へ向かった。決して待っているだけではなかったから。
でも今の私はシンデレラというより継母だろう。玄関の鏡に映った白髪が目立ってきた自分を見て思う。鏡に向かっている姿を思えば白雪姫の継母の方がふさわしいか。
それならばあの女が白雪姫か。
今日からはあのデパートでの勤務になる。
人通りも少なくなり始めた駅を出て現場に向かう、あの美しい靴を思いながら。
美しいものは女の心を躍らせる。
美しい物を身につければ自分もまたその様になれると信じているからなのか。
清掃の最中もあの靴売り場の前の通路は通るはずだ。
あの靴を見たい、触れたい、そして履きたい。
私は靴売り場を最後の楽しみとして、張り切って清掃を始めた。そして最後に靴売り場の前の通路をモップ掛けした時にふと気がついた。
あの靴がない。
本来靴の置いてあった場所には、ぽっかりと闇が落ちている。警備員からの引き継ぎはなかったので、盗まれたということもないだろう。ただ店舗の模様替えかなにかで仕舞われてしまったのか。いずれにしても私は落胆した。
夢から醒めたように黙々と作業を終わらせ、終業の準備に入り例の階段の前を通りかかった時だった。
見上げた先にはあの踊り場の鏡があった。階段を昇らないと鏡を覘く事はできない。暗い鏡のその先に言い知れぬ恐怖を感じ、その存在に気がつかない振りをして通り過ぎようとした。
しかし目の端に映ったのは階段に落ちた片方の靴。それはあの靴だった。
思わず階段を駆け上がり、靴を拾い上げるとその先にある踊り場の鏡の前に自然と目がいった。もう一方の靴は鏡の前にあった。いや正確には鏡の中にあったのだ。
恐ろしいと思う。だが、体は鏡に近づいてしまう。
手に持っていた靴を床に置き、履いていたスニーカーを脱ぎ、そっと靴下の足を忍びこませる。
靴は足に吸いつくようにぴたりと合った。鏡の中に映る自分の足元にはもう一方の靴が。
馬鹿げているとは思っても、鏡の中の自分にその靴をはかせてみようと足を動かした。