小説

『睡蓮の雫』齊藤P(『浦島太郎』)

「人間って本当、どうしようもない奴ばかりね」
 吐き捨てるようにそう言ってから、乙姫はチェックの済んだ書類の束を机の端へ追いやった。地上の人間たちへの嫌悪感と、日夜大量の業務に追われるストレスが黒煙のようになって執務室全体に満ちている。何とも話しかけづらい。それも追加の業務を持ってきたと分かれば、ストレスの矛先は秘書である私に向けられるに違いない。しかし、これも仕事だ。
「あの、乙姫。ちょっといいですか?」
「何」
 ガラスの破片みたいな語調。やはり機嫌が悪い。
「えっと、新規の収容依頼書が2件届いているんですけど」
「また?しかも2件?もうすぐ一昨日の収容報告書が終わるところだったのに!ていうか、最近多すぎでしょ!対応する私の身にもなれっての!仕事のストレスが原因で早死にしたらどうしてくれるわけ?」
「私に言われても…」
「…分かってるわよ。ちょっと発散したかっただけ」
 乙姫は深くため息をついてから、発光プランクトン灯の青白い光に照らされた天井を見上げた。
「大変なのはあなたたちも同じなのよね…。…それで、依頼内容は?」
 そう言われ、私は脇に抱えていたファイルから書類を2部取り出して乙姫に手渡す。
 収容依頼書。
 それは、私たちが普段行っている「危険人物事前収容業務」の依頼書だ。竜宮城の住人である私たちは神々が行う未来予測を元に、近い将来強盗や殺人などを犯すと予測された地上の危険人物を前持って確保した後、ここ竜宮城に連行して更生させ、地上に送り返す業務を任されている。
 地上にも凶悪な人間を捕らえておく施設があるらしいが、施設の数が足りなくなってしまい、見かねた神々が私たち竜宮城の住人にこのような業務依頼を寄越すようになったという訳だ。
「2週間後に窃盗を行う奴の確保か。うわ、こいつまだ10歳じゃない。両親は…3年前に病で他界ね。なんか辛いなー、こういうの」
「生活のためにやむなく、って感じですね」
「地上は相変わらず荒んでるわー。それにひきかえ海中は平和ね。この間野良のホホジロザメがフォーメーション組んで襲ってきたときは流石に死ぬかと思ったけど」
「あ、あれ乙姫だったんですか?私面白いから遠巻きに観戦してました。大丈夫でしたか?」
「助けろや!…まあいいわ、生きてたし。えっと、2枚目の依頼書は…」
 そう言って書類に目を落とした乙姫の動きが止まった。信じられないという様子で固まっている。2枚目の確保対象は相当な凶悪犯、ということだろうか。
「何こいつ。傷害、誘拐に…器物破損?よく今まで捕まらなかったわね。しかも犯罪実行の予定日まで時間がない。さっきの少年より先にコイツを確保したほうが良さそうだわ」

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