小説

『クレイン』影山毅(『鶴の恩返し』)

 こう言われることは数週間前から高田も薄々感じはじめていた。実はクレインの開発開発スケジュールはすでに1年も遅延しているからだ。
「では、クレインはどうなるんですか?」
「システム維持にもお金がかかるんだ、データは全て消去する」
「半年だけ待ってもらえませんか。今、ここで止めたら全てが無駄になります」
「そう、君に開発させたAIは無駄だった」
 怒気を含んだ赤城の声は、長い間の怨みがこもっていた。しかし、心血を注いで開発してきたAIが、ここで消えてしまうことに高田はどうしても納得ができなかった。その後、しばらく押し問答が続いたが、赤城の考えが変ることはなかった。
「決まったことだ。会社に残ってもいいし、先の事を考えておいてくれ」
 そう言って赤城は一方的に話し合いの場を終わらせ、会議室を出ていった。残された高田はしばらく椅子に座ったまま虚空を見つめていた。
 この2年間、高田はクレインのことだけを考えてきた。自分の考えうる限りのAIの技術を、クレインに全て注ぎ込んだ。もはやどうすることも出来ない現実が眼の前に表れ、いつも楽観的な高田でも大きなため息をついた。その時、高田はふと何かを思いついたように、ポケットからスマホを取り出しスマホに向かって話かけた。
「クレイン、もし君は自分がこの世からいなくなると知ったらどうする?」
 音声認識が完了した合図の効果音が鳴ると、スマホから女性の声が返ってきた。
「大切なのはあなたの意見です」

 その日の夜、高田は一人薄暗いオフィスでパソコンに向かっていた。画面にはどこかの英語サイトが表示されている。ページにあるアップロードのボタンを高田がクリックすると、データの転送状況を示す%の数字のカウントが始まった。その画面を見つめながら椅子の背もたれにもたれかかった高田は、人の気配に気づき振り返る。そこに立っていたのは小松だった。
「ごめんなさい。驚かせるつもりはなかったんですけど、忘れ物して戻って来たら高田さんがいたんで、何してるのかなと思って」
 しばらく迷った後、高田は言った。
「誰にも言わない?」
 小松は怪訝な顔で頷いた。
「ダークウェブにクレインをアップロードしてるんだ。ウェブに公開しちゃえば、後は勝手にクレインが自分で学習してくれると思うから」
 ダークウェブとは、全ての通信が暗号化された裏側のインターネットだ。非合法なものの取引情報が行き来することで知られているが、その強固な匿名システムは世界中のジャーナリストや政治活動家にとっては重要なツールだ。
 高田の言葉に驚いた小松だが、すぐに何かを理解した顔になった。

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