小説

『投げキッスの放物線』吉永大祐(『女生徒』)

 私のこと。本当の私のこと―。心が急にメガネをかけたように、自分のいやらしい部分が次々と浮かんできた。お姉ちゃんのようにはなれないと、自分のことをひたすら卑下してひねくれている私。その腹いせに、被害者面して甘えてくるママを突き放すことしかできない私。莉穂を不利な立場に置いておくことで、都合のいい安心感だけを消費し続ける私。どれも本当の私でありながら、誰にも打ち明けることもなく、あつかましくも堂々と生きている私。
 私はあの日渋谷で見た、旅行会社の看板の広告に出ていた家族と同じだと思った。かけがえのないって言葉に甘んじて、偽りの幸せを演じようとしているあの家族と同じ。
 私はいつの間にか眠りに落ちていた。そして、またあの黒いバラの夢を見た。
 いつもと変わらない部屋。同じように目覚める私。下着を確かめる。するとなぜか今夜ばかりは驚かない。なぜか私はそこに、黒いバラの刺繍があることを知っている。やっぱり、それはきちんとそこにある。姿見で確認しなくても、はっきりと刺繍は施されている。ふと、このままこの刺繍が体の皮膚の表面にまで、刺青のように広がっていくのではないかという妄想に駆り立てられた。それくらい、バラは蔦を伸ばして、幾重にも折り重なっていた。それでも今夜は何かが違った。
 誰。誰もいるはずのないこの部屋に、急に人の気配を感じた。私はハッとして振り返る。するとそこには、机の上でブラジャーに刺繍を施している少女の姿があった。私は息を飲んだ。黒いバラを縫い付けているのは、紛れもない、私自身だった。私はただ黙ってその場に立ち尽くすことしかできなかった。

 そして、また同じような朝が来る。パパとお姉ちゃんのいない、二人だけの朝。あれからママとはほとんど口を利いていなかった。だけど、今朝に限ってはママとちゃんと話がしたいと思った。
 もうメガネを外して逃げるなんてことはしない。視界を遮って、すべてをうやむやにするなんて卑怯なマネはしない。そう決心して、勢いよくリビングの扉を開けたが、肝心のママはとっくに仕事に出かけていた。確か今朝は会議の準備で早いって言ってたんだっけ、と思い出す。それでもきちんと、テーブルの上にはお弁当が用意されていた。ママはあの日からもずっと、私との唯一のつながりを守り続けた。

 莉穂は相変わらず、真っ直ぐで丁寧なボールを打ち続けた。私が難しいコースにわざと外しても、必死に食らいついて返した。このままいけば、夏を過ぎたくらいから、私と練習試合をしても、そこそこいいゲームができるかもしれない。そう思うと、ちょっぴり寂しさもあるけれど、うれしい気持ちもあった。もしかしたら、莉穂だって、実はわざと下手なふりをして、私をうまくおだてているだけなのかもしれない。
 私は渡り廊下の方に声を掛けた。今日も一人で素振りをしている菜月に、莉穂の隣に入るように告げた。莉穂は私が菜月に声を掛けたことに驚いていた。それと同時に、自分が今まで菜月の同級生として、乱打に誘ってあげなかったことに引け目を感じたのか、気まずそうに顔を赤らめていた。
 私は莉穂と菜月の球を交互に返した。菜月の打つボールは、雑さこそあったが、切れ味は鋭かった。安定感のある莉穂とペアを組めば、ちょうどいいバランスになるのかもしれないと思った。

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