小説

『投げキッスの放物線』吉永大祐(『女生徒』)

 駅へ向かう道の途中、ラケットバックを下げて歩く見覚えのある後ろ姿が見えた。菜月だった。このままやり過ごそうとも思ったが、私は菜月に声を掛けていた。
「根岸さん」
 呼び止められた菜月が振り返る。西日に照らされた菜月の顔は、どことなく私を睨むような鋭さがあった。一瞬ひるみはしたけれど、その日の私は練習試合で思うような試合運びができたこともあって、わずかばかり気持ちに余裕があった。
「ちょっとだけ話さない?」
 菜月は黙ったまま、微かに頷いた。

 今日まで知らなかったが、菜月とは最寄り駅が一緒だった。私は菜月を駅前のアイスクリーム屋さんに誘い、アイスをおごってやった。私はチョコミントを即決したが、戸惑う菜月はしばらく悩んだ末に、ラズベリーのシャーベットを頼んだ。
 帰り道も同じ方向だったので、私は菜月をあの川縁の階段まで連れてきた。
 階段に腰を下ろし、私たちはそれぞれのアイスを舐めながら、しばらく川の流れを見つめていた。アイスが垂れないくらいに減ったのを見計らって、私は沈黙を破った。
「もしかして練習試合の間、ずっとあそこで素振りしてたの?」
 菜月がまた黙って頷く。
「頑張り屋さんだね」
 少しでも重たい空気を和らげるつもりだった。けれど、菜月の表情は相変わらず硬いままだった。
「あのさ、みんなが言ってることってほんとなの?」
 菜月の顔色がさっと変わる。
「知ってるんだよね? 知ってるから、ああいう態度取るんだよね?」
 ずっと黙っていた菜月がようやく口を開いた。
「だったら何なんですか? それが本当だとしたら、テニスしちゃいけない決まりでもあるんですか」
 菜月のこんなに激しい口調は初めてだった。
「そういうことじゃなくて。私たちがもし根岸さんのこと勘違いしてるんだったら、それは間違ってるって、ちゃんと言うべきだと思う」
 本心だった。これ以上練習中にああいう態度を取られても困るということもあったし、せっかく入ってきてくれた後輩だから、少しでも信じてあげたいという気持ちもあった。莉穂のようには可愛がってあげられないかもしれないけど、そうやって思ってくれている先輩もいるんだとわかってほしかった。
「先輩は今までそうしてきたんですか?」
「え?」
「自分はいちいちこういう人間ですって、洗いざらい全部話してきたんですか?」
 菜月はそれから、小学校の時からいじめのようなことにたびたび遭っていたことを、ほんの少しだけ打ち明けてくれた。
 話している間、菜月のラズベリーのシャーベットが、コーンを包む紙から滲み出て、階段の上にぽたり、ぽたりと垂れ落ちていた。

 私はその夜、ベッドの上で、菜月の言葉を思い返していた。

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