「言わないよ」
「なんで?」
「聞いたらチエ、絶対そいつのことまたボコボコにするだろ。そしたらまた俺がボコボコにされる」と言ってから、はは、とタツヒコが笑う。
「でも、気をつけた方がいいよ。変に格好つけたりしないで。チエちゃんも少しは喧嘩、控えたらいいのに」
「チエは悪くないよ。あいつはただ、許せないんだ。弱いものいじめとかそういうの。小さい頃からずっと。多恵子も知ってると思うけど」
「うん、知ってる。だって私のことも守ってくれたもん。意地悪な男の子から」
「だからあれはごめんって、ほんと。俺が悪かったよ」
「冗談だよ」
と言って、二人とも笑った。
タツヒコが他の高校の不良に報復を受けるようになったのはここ最近のことだった。タツヒコとチエちゃんが付き合っていることを周りも知っていた。チエちゃんの名が轟けば轟くほど、タツヒコの体の傷や痣も増えていった。チエちゃんも薄々そのことには気づいているのかもしれない。それでもチエちゃんは自分の信念を曲げられないのか、存在意義のためか、不良たちに制裁を加えていく。完膚なきまでに圧倒的な強さで、悪い奴らをやっつけていく。タツヒコもチエちゃんを止めたりはしなかった。チエちゃんの闘いは、もしかしたら二人にとっての闘いでもあるのかもしれなかった。
私とチエちゃんが生まれた日、私よりも半日くらい早くにチエちゃんが生まれた。だから私のお母さんが陣痛に苦しんで病院に駆け込んだのが、ちょうどチエちゃんが生まれてすぐくらいだった。そのお母さんが乗っている担架とすれ違ったのが、長い出産立ち合いの末にようやく娘が生まれてほっとしていたチエちゃんのお父さんで、担架で運び込まれるお母さんの横でおろおろする私のお父さんの姿を見ていた。もうパニック状態のお父さんはそのとき全く気付いていなかったけれど、チエちゃんのお父さんの方はほっと一息ついていたのもありよく覚えていて、その様子を見ながら、よく知った近所のお家の子供が自分の子供と入れ違うようにして生まれることに運命的なものを感じたのだという。いつかチエちゃんのお父さんがその話を皆の前でしたとき、チエちゃんのお母さんも、私のお母さんもお父さんもまた運命的なものを感じて、なぜだか分からないけど、これから何が起こるかどんな風に育つのかも分からないけれど、きっとこの子たちは二人でいれば大丈夫だ、そんな風に思ったらしい。チエちゃんのお父さんが感じたこの運命的な予感はおおよそ当たっていて、私もチエちゃんがいればなんとなく、大丈夫な気がする。それは二人でいるから、というより、チエちゃんがただいてくれたら、別に私の近くでなくても、ただチエちゃんがこの世界のどこかに存在してくれるだけで大丈夫、という感覚だった。きっとチエちゃんの存在が、色々なことから私を守ってくれる。そんな風に思える。チエちゃんは私のヒーローだ。一つ想定外だったのは、その運命的な予感を与えてくれたチエちゃんのお父さんがいなくなってしまったこと。自営業に失敗したチエちゃんのお父さんは、チエちゃんが中学に上がる直前ぐらいのある日、突然家を出て失踪した。抱えていた莫大な借金とともに、きれいさっぱりいなくなった。残されたチエちゃんとお母さんには幸か不幸か、借金も貯金も残らず、その後二人は近くの小さな古いアパートに引っ越した。