小説

『かぐや中年2.0』なにえ(『かぐや姫』)

俺がアナスタシアに凄まれていたとき、店頭から、店長がやってきた。彼女のことは、「店長」でも「二池さん」でも「あかねさん」でも、なんとでも呼んでいいらしい、つまり、自分はフレンドリーな店長でございっていうテイなわけだ。もちろんそんなことにごまかされるほど偏差値の低い俺ではないんだから、絶対に名前なんて読んでやらず、店長、なんても呼んでやらない。用事があるときゃ、「すいません。ちょっと、あの」と言えばいいだけの話。名前をいちいち呼ぶだなんてこと、それは、クソな恋愛コメディ映画のなかだけでいいって話なわけ。

んで、この店長(フレンドリー)が、入ってきたとたん、アナスタシアのやつは、急に態度を変えやがるんでやんの。アナスタシアはどうやら、店長(フレンドリー)が好きらしい、文字通りの意味で好きで、目なんか、真っ赤なハートの赤ん坊みたいになってこのくそれずやろう、と。俺はもちろん差別主義者ではないわけだけど。どうだろう、職場に恋愛ごとを持ち込んで、人によって態度を180度変えるっていう寸法は、本当に、日本の教育、ロシアの教育、このホシの教育は、地におちて、地面にめり込んで、角質層をぶちやぶって、あ、角質層は地球にはないか、とにかく、地球の真ん中のごうごう燃えているあっつい部分にまで達してるんじゃないか、なんて思うわけである。それとも、教育なんて、本当には意味はないのかもしれない。教育を仕事にしているやつらの飯の種以上の価値を生み出すことなんてないのかもな、うん、社会派の俺だけに言えることではあるが。

にしてもどうやら俺はそうとうクリエイティブタイプらしい。単純労働には向いていない、ということ。弁当屋なんていうのは特に。選択を誤ったが、目的のために突き進むしかないだろう。ということで、俺は少しでもこのクソな時間をマシにしようということにした。すなわち。ニコニコ弁当を改革することである。

1日8時間、週5日(ときには6日)もニコニコしにゃならんのだから、どうにかしてこの場所をましな地獄に変えたいものだ。俺は、弁当の革命児にでもなろうかという勢いで、新しい弁当の開発に取り掛かった。もちろん店長(フレンドリー)はそのフレンドリーさで俺の検討を褒め称えたし、アナスタシアは、「よけいなことするとコロス」と妙に日本人らしい発音ではっきりと俺を睨むのであった。

そこで、やはり俺が取り組んだのは、いわゆるキャラ弁というやつらしい。つまらんいぬっころや、猫、くだらん生き物たち。それをいかに愛らしく作るかというのが、俺のこのクソタイムのキリングの仕方ってわけ。それに、もちろん売り物の弁当だから、簡単に大量に作れるキャラ弁じゃないとダメっていうんで、これまたクリエイターとしての素質が問われるだろう。そういえば、ユング先生の性格分類テストでも、俺はクリエイティブタイプで、ジョニデとティムバートンと同じタイプってことらしかったから、彼らもきっとキャラ弁なんて作らせた場合には、俺と同レベルの才能を発揮するってことなのだろう。

もちろん、そんなことに夢中になるはずのない俺様なのであるが、気がついたら、店の外に、いりたえみ、が来ていたわけで、なぜか、頬に絆創膏をはっつけていた。いりたえみは、俺の作った、アンパンマン風味のキャラ弁をみて、なんとも、むぎむぎさせられる口角の上げ方をしたってわけなんだ。

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