小説

『アプリ越しの愛』星野梨音(『痴人の愛』)

 仕事終わりのお客さんたちが、電話をしてくる時間帯は不規則でしたので、私の睡眠時間はどんどんずれていきました。眠っているときも、起きているときも、目の前に一本の白い手が見えます。私は、お金が自分の口座に振り込まれる度それをほとんどそのまま鈴木くんの口座に入れます。鈴木くんは、もちろん私がどのような苦労をしてお金を準備しているかを知りません。すっかり話し方が一新された鈴木くんは、自信に満ちあふれた口調で電話口で私にこう言います。
「最近の男は、肌パックをするもんなんだよ。今の男は肌が綺麗じゃないとね。」
「最近知り合ったカメラマンが、俺を被写体にしたいって言うんだ。モデルになるのにさすがに一回着た服は着られないよね。」
 私はお客さんの前では媚びることができても、相手が鈴木くんとなりますと、話は別です。お金を稼ぐための話し方をすっかり封じてしまうのです。
「ああ、シンジ・ヤマモトの最新作が買えたらなあ。」
そんな彼の言葉に対して、
「もう既に何着か持っておられるじゃないですか。」などと言った場合には、
「なあ、美香は俺がダサくても平気なわけ?薄情だなあ。俺の幸せが大事なら俺に尽くして当たり前じゃねえの?」と言います。それでも私が折れないでいますと、
「俺は美香に出会って、本当に変わることができたんだ。命の恩人だよ。他の誰よりも特別に思ってる。」と言うのです。
 口先だけだと、気がついていないわけではありません。お金を得たいとき、人間がどれほど狡猾になれるか、私は身をもって知っているはずなのです。鈴木くんは、決して「好き」という言葉を使いません。できるだけ嘘を少なく、自分自身の良心のようなものをギリギリまで守りながら、私から最大限の利益を引き出そうとしているのです。
 鈴木くんは、天使の手をもつ悪魔でした。鈴木くんのことを考えれば考えるほど、私の時間はひたすらおじさんたちとのチャットや電話にとられます。鈴木くんは、だんだんとお金が足りないときしか連絡をしてこなくなりました。私は、少しでも鈴木くんと話したくて、パオラバの勉強をしている時間以外はチャットレディになります。もう、他のアルバイトはできません。私が鈴木くんに送るお金は私が過ごした時間の重さであり、使ったお金は私の愛の重さです。私は、鈴木くんと直接的には触れあわずして、全生活を鈴木くんのために捧げていました。そうすると、今度は、前の生活がどのようなものだったか、思い出せなくなります。もし、鈴木くんに愛情を捧げるのをやめてしまったら、私は空っぽになってしまいます。昼夜逆転生活で寝不足の中、私はふと孤独を感じることが多くなりました。私が住んでいるマンションの外に、学生達が騒ぐ明るい声が聞こえると、部屋の中でパジャマのままで媚びたり研究をしたりしている自分がひとりぽっちだということが胸に染みるのです。部屋のベッドにぽつんと座っていると、自分一人だけが世界から取り残されているようで、そして今までの時間は取り返すことができないものだとはっきりと悟るのです。私はその感覚を感じなくて済むよう、電話にこぎつけるためのチャットサービスを徹底しました。
 鈴木くんは私がこんな気持ちになっていることを知ってか知らずか、優しい声で
「本当に目がかわいいね。」だとかいう言葉をかけてくれます。(ビデオ通話をする際、私はマスクで目以外を覆っています。)そして、次の瞬間には
「俺、俺のこと好きな人って嫌いなんだよね。」などと言うのです。鈴木くんは今では、高慢ちきに私の心を弄ぶのが得意になっていました。ビデオ通話をしているとき、鈴木くんは曲げた人差し指を唇に押し当てる癖がありました。そのような姿を見せられてしまうと私はなんとも、鈴木くんの言葉が心臓の奥まで真っ直ぐに届いてしまい、どうにも惚れ直しているのです。

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