小説

『アプリ越しの愛』星野梨音(『痴人の愛』)

「あのブログを書いている人が話し方講座を東京で開講しているらしいんですが、行った方がよいでしょうか。」
「行きたいのですか?」
「はい。でもそろそろ、お金がなくなってまいりまして。」
 私は、自分の服を売り、鈴木くんの口座に現金を振り込みました。洗練された話し方をする鈴木くんを見るのは、私の喜びに繋がるのです。

 しかし、困ったことに、鈴木くんが要求する金額は、日増しに大きくなってきました。私は、気づけば今まで貯金していたお金を使い切り、売れる服は減ってきました。私は、近くのファミレスでバイトをすることにしました。しかし一ヶ月間は稼いだ分が貰えません。やっと稼いだお金を鈴木くんに送ると、「これじゃ新作のバッグが買えないなあ。」と言われました。私は、新しいアルバイトを探しました。短い時間で多くのお金が稼げる仕事内容であるというのが、私にとって最大の条件でした。そして、チャットレディとしての私の生活が必然的に始まることになりました。お金持ちの、大体は四十を過ぎた男の人とチャットや電話をするだけで、私はお金を稼げるのです。簡単なことに思えましたが、実際に始めてみるとそれなりのきつさがあると分かりました。向こうはお金を払っているのっで、払った分の価値が私にないと分かると、あっけなく去って行きます。そうすると、私はお金を稼ぐことができません。それでも、わざわざ支度をして外に出て、煩わしい人間関係の中で働き、それでしてわずかなお金しか得られないことを思うと、チャットレディというのは随分と丁度良いように思われました。
「もしもし、おかえりなさい、ローランドさん。」
 スマホが光ると、私は即座に声を1オクターブ高くして飛びつきます。もちろん、相手は本当にローランドというような洒落た名前ではありません。皆、好きな名前で登録しているだけです。本当は、治や聡志などという、平凡な名前に違いないのです。
「今日はお仕事終わるの遅かったんですね。おつかれさまです。」というような普通のいたわりを好むようなお客さんもいれば「帰ってくるの遅かったね。早く声が聞きたかったよう。ぎゅーって言って。」などという、甘えた女性を好むお客さんもいます。電話に出るなり、罵ってくれ、と赤ちゃんのような声を出して頼んでくる方もいます。
「今日どんなことがあったのか教えて。」と言われた折には、
「友だちとカフェに行ってきたよ。」などと私は楽しそうな声を装って答えます。
「どんな服装で?」
「ワンピースだよお。」
「丈はどのくらい?」
 結局、相手が私に言わせたい内容をどのくらい引き延ばせるかに収入がかかっていたので、私はなんとしても天然なふりを貫くのです。
「タケ?タケってなあに?」
「馬鹿だなあ。スカートの長さのことだよ。」
「わあ、うーん、結構寒いって思うくらいかなあ。なんでそんなこと聞くの?」
 毎日普通にネクタイを締めて出社したり、結婚したりしているいい大人は、おそらくわざと、馬鹿で若い女の子の相手をすることを喜んでいるのです。ほんとうに、茶番です。私は、画面で進む秒数を眺めながら、なるべく通話時間を延ばそうとゆっくり話しました。一分あたりで金額が決まっているからです。私は、自尊心を削りながら、着実にお金を稼ぎました。

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