小説

『拝啓赤ずきんさん』熊田健大朗(『赤ずきんちゃん』)

 ひとつ気になることがある。赤ずきんと名乗る彼女の“少し生きてみた甲斐がありました”という言葉だ。死のうとしていた人の言葉に聞こえる。ばあちゃんは死のうとしていた彼女に声を掛けたのだろうか。いや、出会ったのは公園だと書かれていたし何か違う気がする。僕は手紙を通して彼女のことが気になりはじめた。そして2 枚目の手紙へと手が伸びる。
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拝啓おばあちゃん
 お返事ありがとう。お言葉に甘えるね。素敵なお孫さんなんだ。いつか会えたらなって思います。先月は2 つのことにチャレンジしました。ひとつは気になってた喫茶店で、はじめてブラックコーヒーを飲みました。苦くて飲むのに時間がかかりました。注文する時にマスターが「うちは豆に凄くこだわっているんです。」って言うもんだからミルクやお砂糖を入れることができませんでした。
 でも何だか少し大人になれた気がします。もうひとつはスカートを履きました。高校の制服ぶりだと思います。歩いていると裾がふくらはぎに当たってこそばゆかったです。たぶんもう履きません。あ、いま時計をみたらゾロ目でした。
今月はなにか良いことがあるかもしれません。おばあちゃん、良いこと、待っててください。
赤ずきんより
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 彼女は日常のたわいも無いことを手紙に綴っていた。まるでその日の出来事を母親に、一生懸命楽しそうに伝える幼稚園児のように。僕は3枚目、4枚目、遂には最後の手紙まで一気に読み終えた。どの手紙にも彼女の日常が記されていた。僕が気になる彼女とおばあちゃんの出会い、彼女は死のうとしていたのか、のヒントとなるような手紙は無かった。不思議なことに彼女の字は少しずつ綺麗になっていて、その字から僕の心に彼女の過ごした日常が刷り込まれていった。月に1度帰って来る僕と、月に1度送られて来る手紙。おばあちゃんはきっとこの手紙を凄く楽しみにしていたんだと思う。僕は机に封筒を並べ、まるで目の前に彼女が居るかのようにきちんと正座をし、彼女に感謝の意を込めて呟いた。
「ありがとう。」
 封筒にはきちんと彼女の住所が記されている。会いに行こうと思えば難しい距離ではない。ただ会いに行ったところでどうするんだ。「孫です。手紙ありがとうございました。ところであなたは誰ですか?」とでも言えばいいのか。ばあちゃんが亡くなった報告という程ならすごく自然な流れで会える。いくつか会いに行く理由を考えたが実際のところ気は進まなかった。僕は彼女とばあちゃんの不思議でどこか温かな関係に立ち入るべきではないと思っていた。でも、だからこそ彼女にばあちゃんの死を伝えるか否か、答えの無い問いに僕は頭を悩ませた。一度手紙を棚に戻そう。そう思い封筒に手を伸ばした時、僕はあることに気が付いた。消印の日付がどれも月の頭、1日だった。はっと携帯を取り出し日付を確認した後、小走りで郵便受けへ向かった。郵便受けには彼女からの手紙が入っており、そこにはいつもと変わらない日常が記されていた。僕は彼女にばあちゃんの死を伝えることを決めた。返事が返ってこないという理由だけで彼女にばあちゃんの死を知って欲しくなかったからだ。部屋に戻り棚の中からばあちゃんの手紙のセットを取り出しペンを握った。ばあちゃんと瓜二つの字で「拝啓赤ずきんさん 私は少し遠くに行くことになりました。」と書き始めた。僕は見知らぬ赤ずきんさんに最初で最後の嘘をついた。

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