小説

『きつね』森な子(『民話:妖狐』)

 歩(あゆむ)とヨーコが出会ったのは森の中の小さな祠の前だった。泥だらけの真っ赤なランドセルを抱えてしくしく泣いている歩を見つけた時、ヨーコはびっくりしてギャッと悲鳴を上げた。今度は歩がヨーコの声にびっくりして顔を上げる。数秒のびっくり合戦の後、おそるおそる声を出したのは歩の方だった。
「あなた、誰?私のことをいじめにきたの?」
 ヨーコは、何を言っているんだ、この人間は、と呆れて肩を落とした。

 ヨーコはこの山に住む狐だ。たまに人の姿に化けて街へ出て、気まぐれに誰かと関わってみたり、むしろ誰とも関わらずぼやっとしてみたり、とにかく賑やかな人間の営みを眺めているのが好きだ。本来の狐の姿は山では嫌われ者だった。狐はずる賢くて卑怯者だ、と大昔から言われていて、山に住む動物や妖怪たちはみんなその噂を信じた。だから人に化けて街へ出た。小さな子供の姿をすると優しい大人たちが撫でてくれた。美しい女の姿をすると男たちが愛を囁いてくれた。ヨーコには家族がいなかった。友達もいなかった。だから人の世へ混じって、たったの一時でも、ほんの一瞬でも、誰かの暖かさに触れたかった。
 山に住むものたちから身を隠すように、この古びた祠で毎日眠った。前にこの場所に住んでいた氏神はとっくの昔に引退しているようで、祠は誰の気配もなく住処にするにはうってつけだった。
 その日は小学校低学年くらいの少女の姿で街へ出て、公園でほかの子供たちと遊んだ。人間の子供は好きだ。全然知らない見ず知らずのヨーコのような者が現れても、「私もいれて」と言えばいいよと言って仲間にいれてくれる。大人だとこうはいかない。
 けれどヨーコには一つだけ苦手なものがあった。それは夕方の五時になると流れるチャイムの音だ。その音が鳴るとどこからともなく大人が現れて、さっきまで一緒に遊んでいた子供たちに「帰るよー」とか「ごはんだよー」とか言って手を引いて連れて行ってしまう。
 ばいばい、またね、と子供たちが一人、また一人いなくなって、ヨーコはいつもすっかり暗くなった公園に一人になる。あの瞬間がたまらなく嫌だ。胸の奥がざわざわとする。
 いつものように一人で街を歩き、ひそひそと動物たちの陰口が聞こえる中で、少女の姿のまま住処である祠に帰った時――歩がそこにいた。それが二人の出会いだった。

「ねえ、どうして黙っているの?」
 はっとしてヨーコは少女を見た。警戒したようにこちらを睨みつける瞳の中には、ヨーコに対する不信感がにじみ出ていた。少女は長い髪を三つ編みにしていたが、誰かに引っ張られでもしたかのようにぐちゃぐちゃになっていた。それに、着ている服も、ランドセルも泥だらけだ。
「随分身なりが汚いね」
 ヨーコが言うと、少女はぽかんとした後、カッと顔を赤くさせた。
「うるさいな。べつにいでしょ」
「ここで何をしているんだ。もう暗いし、子供は家に帰る時間なんじゃないのか」

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