小説

『鈍い痛み』黒藪千代(『一寸法師』)

 と、田辺の声が聞こえて、オレはゆっくりと顔を上げた。一同が笑いを堪えている様子が見え、田辺を振り返ると。いつもの変顔。
 安堵の気持ちと、再びグッとこみ上げる感情を堪えながら大きく息を吐き出した。

 「どやっ?」
 小さい人は、よっこらしょと掛け声をかけながらオレの左肩の辺りに現れ、耳元で風を切ってジャンプすると浴槽の狭い角に見事な着地を決めた。
「はい、いや、まぁ」
 今度はさほど驚かなかった。喉も塞がらず、普通に答えられた。オレはこの尋常じゃない現実を受け入れたのか?と思う。
 嫌な自分を放置していた事に気づかせてくれた小さい人に、ちゃんと感謝の気持ちを伝えたかった。尋常じゃない現実でも、それはオレにとって救いの神なのだから。
(ありがとう)を忘れるな!と言ってくれた部長の顔も浮かぶ。
「ふんふん。その顔は、成敗完了やなっ!」
「教えて頂いてありがとうございました。いつの間にか自分が思い上がっていて・・」
 言いながら、顔を上げ浴槽の角に視線を向けると、そこはいつもの浴槽の角で。さっきまでくっきりと輪郭のあった小さい人は消えていた。

 翌朝目覚めると、また肩と首筋にチクチクと痛みを感じた。
 成敗完了!夕べ浴室の中で小さい人が言ったはずなのに。幻のように消えてしまったけれど、オレは確かにそう聞いたと確信に近い気持ちでいた。
 それなのに何故?!
(ピッキーンっ!)脇の下の内側から針で刺されたような激痛が走った。
「ううっ」思わず漏れた声に、隣で眠っていた妻が起き上がった。
「パパ?どうしたの?」
「あっ、いや、なんでも、ううっ・・・」
 チクチクと痛む身体の左半分。妻の運転する車に乗って病院に行った。
 だけど、何て言えばいいのだ。小さい人に成敗されています?と言うのか?
 内科ではなく、精神科へ行けと言われてしまう事は明らかだ。

「どうしましたか?」
 待合室で順番を待つ間、小さい人の面影が頭の中で浮遊していた。やっと名前を呼ばれ診察室のドアを開けたオレは、しばし固まった。

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