小説

『ギア』広瀬厚氏(『歯車』)

 僕が言うと彼女は少し照れた表情を浮かべた。
「どこか店にでも入ります?」
「僕は話ができればどこでも」
「そうだ、天気もいいし少し歩くと公園がありますよ」
「じゃあそこに行こう」
 ふたりはならんで歩きだした。ライブの日以来彼女と会うのは初めてなのに、なんだかふたり昔から知っている間柄かのよう、とても自然な感じに僕は思えた。
「歯車読んだんですよね」
「ああ、後でゆっくり感想を話すよ。それにしても朝は曇っていたのに良く晴れた」
「こちらは朝から晴れてましたよ」
「そうなんだ」
 たわいのない話をしながら公園へとふたり歩いた。しばらく歩くと手入れのゆきとどいた綺麗な公園がそこにはあった。あいたベンチを見つけふたり座った。来る途中自販機で買った飲料のプルトップのふたを開けた。僕はゆっくりと話し始めた。
「上手に順序だてては話せないと思うけど聞いてくれるかな」
「そんな上手にとか気にしなくても」
「これ」と言って、僕はバッグから持ってきた文庫本をだした。
「きのうの昼前本屋へいったらすぐに見つかって買った。それで部屋へ帰って昼食をさっと済ませてからベッドの上でページを開いた。途端ドキリとしたよ。レエンコオトって…… ちょうど僕が僕の歌う歯車を書いたころ、レインコートを着た男の幻覚を見て悩まされていたんだ。その当時すごく精神的に不安定でね。それを思い出した。それですっかり釘付けになって一気に読んだ。歯車は芥川の遺稿なんだね。その遺稿を読み終えすぐハッと感じた、君があの晩にバーで僕に尋ねたことを。僕はこの歯車を読んで自分の歯車を作ったんじゃないかって。それにしても……… 僕はそう感じても、どうして君がそう思ったかが分からない。僕の歯車の歌詞のなかに芥川の歯車を連想させるようなところは一切ないように思う。なのにどうして?」
「歯車」とすぐ、彼女が小さく呟いた。
「これは話しても信じてもらえないと思うけど、実は…… 私小さなときから今でもときどき自分が歯車… いやなにもかも全部が歯車になって回る… 感覚じゃなくて、実際にと言うか、なんて言うか… えっと、上手く言い表せない」
 彼女は言葉を詰まらせた。僕は非常に驚いた。きっと彼女は僕が言うところのギアと同じような経験の持ち主で、それを言葉にしたいのだが、難しくて上手く言えないのだろう。
「とにかく自分も含めてみんな歯車になっちゃう… 純さん、お腹んなかで私のこと笑ってない?」
「いや、彩乃ちゃん僕はちっとも笑ってないよ。それで?」

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