小説

『天と地を求めるように宙を舞う指』もりまりこ(『蜘蛛の糸』)

 でも後で聞いてたら、シャバの出来事とあの<スパシルの日>が関係しているらしくって、つまり蜘蛛の糸の下に並べるかもしれない優先順位が決まるらしいのだ。
 そして、最後に訊ねられた。
 きみは蜘蛛をころしたことがあるか? って。
 その問いはあまりにもピンポイントすぎて、わなってこころが震えた。
 ある日、会社からの帰り道。<曲がり角公園>でそれを見た。糸と糸がもつれることもなく、格子状につむがれて。そこにいくつかのしずくが、水玉模様みたいに浮かんでいた。
 垣根と垣根のぽっかりとした空間に、蜘蛛の巣がとてつもなく広がっていた。
 そこにいたのは、黄緑色と黒の、横縞の蜘蛛。ジョロウグモ。
 ちらっと見ると、その巣にはもうすでに戦利品らしきものがひっかかっている。
どれぐらいの時間でこういうものを、こしらえるのかわからないけれど。
 横糸がこまかくはりめぐらされていて、丸いというよりは、楕円のような形をしていた。
 繊細なレエスをつむいでそこに獲物が包まれている。身動きできないけれど、なにかの生き物らしいものが対になっていて、それはそれで、アクセントのようだった。
 あの獲物はあたしで、あの蜘蛛は継父。不意になぞらえて、その糸をぷちんと切ってしまいたい衝動に駆られた。でも、切ってしまいたいほど憎しみの熱はたぎっていないことに気づいたのはその時だ。あたしは絶望が日常になっていた。
 人からみたら継父とあたしなんて、蜘蛛の巣と戦利品でもなんでもない、ただのちちとむすめなんだろう。なぁんだって感じ。下手したら仲良くみえてるかもしれないのだ。おかしいよぜったいおかしい。
 指でその蜘蛛の糸にふれてみたかった。ふれようとして二の腕を伸ばした時、昨日蹴られた背中に鈍痛が走った。その後で励んだ臀部系スクワットの痛みがあいまってる。
 ただただあたしはつむぐという行為にあこがれているのかなって思った。なんでもいい。それはまぎれもない時間だから。そしてこの蜘蛛と戦利品であるちいさな黄色い昆虫は、どこかでタイミングを逃さずになにかに間に合ったのだ。
 うまく、日々というか人生というかそういうものに、たぶんとても間に合ったんだろうと思う。雑踏を歩く家族連れだってそうだ、みんなどこかで間に合った人たちだ。
 「思い出そうとしたときに、最初によぎった感触。それが文字にするともうそこにはなかった」という言葉をその日どこかで読んだ気がする。
 文字を打つ時だっていつもいつも気づいた時には遅れている。
ほんとうは、あのジョロウグモのようにすべからくちゃんと間に合いたいだけなのに。

 ちらっとあたしは今度間に合うかなって思った。
 つまり<スパシルの日>に。
 でもたぶん間に合うのはランくんだろうな。
 眼でランくんを探す。いなかった。ここで逢うひとはときどきいなくなったりとつぜん現れたりする。あの日、<一千一秒通り>で跳んでいたのは駆介くんだったのかを、聞きそびれていた。

 眼を閉じる。

1 2 3 4 5 6 7