小説

『天と地を求めるように宙を舞う指』もりまりこ(『蜘蛛の糸』)

 あたしの住む町がいつもと違う空の色を映し出していた。なんだろうって思ったら、映像の中のアプリみたいなものが開くとひらがなで<もや>って書いてあった。あたしの住んでいる町はもやっているらしい。
 そういうえば、いちばん好きだったあの人にいつもきみは<もやってる>って、叱られたことを思い出す。恋人になりそこねた取引先の鬼怒川さん。名前に怒ってるって文字が入ってるのにいつも口角は上がってる人だった。あたしが広告会社を辞めようかどうか迷ってる時、会社には内緒でフリーで仕事を受けてみた。今後のシミュレーションのため。納品した後、じぶんのギャラが決められなくていたく叱られた。仕事のギャラが決められないっていうのは、自分の価値を貶めてるに等しいよ。鬼怒川さんが名前の如く怒ってた。おまけに根源的なこと決められない人とはこの先、一緒に歩いていけないなって。鬼怒川さんの怒り方はぜんぜんそそられなかった。ちょっとがっかりだった。センスがないとかそういう感じ?
「だめだよ、いつまでもそんなにもやってたら」
 へへへって笑った。あたしはその時すこしだけあれだけ好きだと思ってた鬼怒川さんに説教されてへぇあたしはもやっているのかって気づかされた。
 ヘルからむかし住んでいた町の天気を覗く。<もや>の夕暮れにじぶんをそっとあてはめながら、いまいちばん速度と遠いところにいるのを感じていた。

 ある日のことでございます。
 その日は突然やってきた。<スパシルの日>。
 あたしの眼の前に銀色の糸がつつつと降りてきた。あたしの隣にはやっぱりランくん。ほらね、たぶんあたしは負ける。ランくんはその糸に届かないあたしの両脇に手を入れて届くようにしてくれた。ちょっと体操選手権大会の鉄棒の時みたいに。その後をランくんが続いた。ふたりの手の動きが、うそみたいに絡んで。ひとりの指とひとりの指が一本の糸の上をつかみながらにじり寄ってゆく。
 ふたりがひとつになっている腕と手首と掌。いまみている手が右のランくんのものなのか、左のあたしのものなのか。夢中でわからなくなるくらい。ランくんの身体。鍛えられた筋肉が波のようにうねってる。尖った月みたいな涼しい眼差しであたしをみたその時ランくんの均衡が崩れた。崩れたんじゃなくて、崩したんだと思う。ランくんに勝ちたいとも思っていなかった凪だったあたしのこころが乱されてゆらめいた。ランくんは最後に叫んでた。
「上りたいんやない跳びたいんやっ」ていいながらその糸から落ちていくのかなって思ってたらとつぜん視界から消えた。銀の糸があたしの指にはりついて、とつぜん短くなったみたいな感じがした。
 ある日のことでございます。
 あたしが引き上げられたのは、ヘブンじゃなくてシャバだった。
 またぁ? たぶんそう声にしたと思う。 

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