小説

『腫れ物地獄と純粋めいた愛』あざらし白書(『笠地蔵』)

「久しぶり、地蔵くん」
あっちゃんの声は、やっぱりハスキーがかっていた。そのハスキーボイスに、僕はいつも参っていたことを思い出す。
「どうしたの?こんな雪の中。というか、すごい久しぶりだな」
「ちょうど近くを通ったの。いま仕事長期休みなんだ。地蔵くん、いるかな?って思って」
ふふ、と笑うその掠れた声に、脳内から異常なほど興奮物質がでているような気がした。動悸はおさまることなく強まっていった。
「でもよかった、本当に会えて。こんな雪だし、今日はいないかなって思ったの。いたとしても、遠くから一目見られるぐらいかなと思っていたから、声まで聞けて本当によかった」
そう言って、あっちゃんはまたニコっとする。その神々しさは同じ地蔵とは思えない、むしろ釈迦如来像のような輝きである。神々しい後光が彼女に差してきて、その後ろには羽の生えた赤子がチラチラと飛んでいるようにすら見えた。おお、神よ。もはや偶像などではなく、彼女は神そのものではなかろうか?
そのあと、茶化してくる他六体の地蔵たちの声は一切耳に入れず、五分ばかしあっちゃんと喋った。その五分はあまりに短くて、長くて、僕らは夢中になって喋っていた。聞けば、あっちゃんは僕の家からほんの三十分ほどしか離れていないところに住んでいるらしい。最近こちらに引っ越してきて、僕がここで笠地蔵の仕事をしていることを聞きつけてきたのだそうだ。
あっちゃんは、僕が爺さんにどんなお礼の品を届けるかを笑って聞いている時も、全国の地蔵配置を考える自分の仕事を話してくれているときにも、ずっと少しだけ上目遣いだった。それは昔からの彼女の癖なはずなのに、なんでか僕は少しばかりある種の期待をしてしまっていた。話していた内容は、ほとんど当たり障りのない話ばかりなのに。その上目遣いのせいか、彼女が僕に会えたことを特別な感情で喜んでいるのではないか、自分に好意を持ってくれているのではないか、と途方もない勘違いをしてやけにドキドキしていたのだ。
ドキドキから口の中が乾いてきて、上目遣いのあっちゃんの目を直視できなくなり、ふと視線をはずしてあっちゃんの肩越しに見える草はらを眺めた。そこでようやく、雪がゴーゴーを通り越して、さらに強くなってきていることに気がつく。あっちゃんの帰りの道中も心配だし、僕ら自身の仕事もこれ以上は無理だと判断して、僕はあっちゃんに「また近々会おうよ」と告げた。
あっちゃんは相変わらずの上目遣いで少し恥じらいながら、「それじゃあ今度、ご飯とか、しよっか」と笑った。その「しよっか」の言葉に僕の体はぶるっと反応し、もう一度胸が高鳴る。
ほとんど間髪を入れずに、「そうだね。そうしよう」と返した。「しよう」のときに少し声が上ずって、変なふうに思われないかが心配だった。実際、僕は変なことを考えていたわけだから。

「ただいま」
それから一時間ぐらいしてから、家に到着した。結局、あのあとも少しだけ待ったが、爺さんはこなかった。こなかったからこそ、あっちゃんと会えたわけだから、憤りながら帰っていったみんなみたいに、僕は爺さんを責めきることはできなかった。
「おかえりぃ!」

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