小説

『腫れ物地獄と純粋めいた愛』あざらし白書(『笠地蔵』)

台所のほうからキョウコの声が返ってくる。オレンジ色がぼんやり灯る我が家。晩御飯に作っているのだろう、厚揚げの煮浸しの匂いがした。こんなにも寒い雪の日に、厚揚げの煮浸しを作ってくれるキョウコのセンスを心の中で讃えた。
玄関の横にかけてある濡れタオルで足の裏を拭く。今日の気温のせいか、体が強張って固くなってしまっていた。足を拭く前後の動作にあわせて、肩から背中がギシギシと軋むのだ。
ドンドンドンドン。ギシギシになった背中をさすっていると、台所の方角からこちらに向かって何かが飛び跳ねてくる音がした。
「オカエリ!オカエリ!オカエリ!」
息子のアイジが、文字通り、縦に横に飛び跳ねながらやってくる。そのまま僕の背中に抱きついてきたかと思えば、異様な叫び声をあげながら、またすぐに離れてその場で狂喜乱舞した。本当に、文字通り狂喜乱舞だ。僕はそれを見ていつものように笑う。奇声をあげて僕を迎えてくれるのが彼の日課であって、その姿をみてこれ以上にない愛おしい気持ちが芽生えるのも、また僕の日課だった。
「ただいま。いい子にしてた?」
彼の、まだ柔らかい石の体がもう一度背中にのしかかる。”うん”とも”いいえ”とも取ることのできない、「べろべろべろべろ」という言葉を発するだけで、体を僕の背中でバウンドさせるのだ。
「わかった、わかった。あとでまた”ローリング・ごろんごろん”してあげるから」というと、きゃー!と、アイジは感極まった声をあげ、僕から離れて台所のキョウコのほうへ逃げていった。彼は”ローリング・ごろんごろん”が大好きだった。寝そべる僕の体にアイジが乗って、僕は前に転がり、アイジは僕の体から落ちないようにうまくバランスを取りながら前に進む。ちょうど玉乗りみたいなもので、彼を落としやしないかヒヤヒヤしつつも、僕としてもその危なっかしさがお気に入りだった。
「またその遊びするの?アイジよりも、パパの方が楽しんじゃってたりしてね」
逃げ去ったアイジの両肩を捕まえて、台所からでてきたキョウコが笑った。
「さすが、大正解。今日はひどい雪だったよ。でかけた?」
いいえ、とキョウコはアイジを抑えることに苦労しながら首を振った。庵治石と黒御影石のハーフのキョウコは、我が妻ながら美しく、思わず見とれてしまうほどだ。アイジもその美しい妻の石をついでか、少しばかり腕のあたりとお尻の辺りに黒御影石が混ざっているようだった。その他の部分は、僕の小松石を継いでいる。すこし、申し訳ないような、だからこそのような、アイジを見ていると胸が締め付けられてきて、憐憫にも似た愛情を感じざるを得ない。
「今日の夜は、何時にでかけるの?寒いでしょ、暖かくしていかないとだめよ」

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