しばらくしてから、僕は前者を選んで口を開いた。「あと5分。5分だけ待とう」と、仕事は抜きにして、危険を顧みずやってくるかもしれない爺さんを人として、もとい、地蔵として待つことを選んだのだ。ヤマトは「おう」と言いながら、大げさに身震いをしたような気配がした。たぶん、あまり納得がいっていないんだろう。
さて、あっという間に5分が経つ。ビョービョーと吹きすさぶ雪は降り止むこともなく、いよいよ僕たちの下腹部以下をすべて埋めてしまった。爺さんはやはりくる気配がない。雪の音も、ビョービョーからゴーゴーへと変わっていき、あたり一面は地獄の様相を呈してきていた。
「これは無理だよ、もうあがろう!」
イチがイライラしたような、笑っているかのような声で叫んだ。僕の左手から三つ横、ヤマトの左手から二つ横にいるやつだ。七体の中で一番小さい背をしていたのに、七体の中で一番の癇癪持ちだった。地蔵も見た目によらないものだ。
「これ以上ここにいたら、帰れるもんも帰れなくなるよ。さあ、あがって暖かい熱燗で…あ!」
イチは途中で声を切った。ゴーゴーの音の奥の方、正確には左手の方角から、なにやら雪を踏みしめる軽快な音が聞こえてきた。
サクッサクッと等間隔なリズムを刻むその音は、こんな日にも関わらず、何故だか明るい気持ちを誘ってくれる。
サクッサクッが、どんどんと近づいてきて、僕の左手から四つ横のケンヤの前で止まったような気がした。「爺さんではない」と、心につぶやく。爺さんであれば、彼がきた方角から向かって一番奥側にいる僕の前に最初に来るはずだし、第一、僕らに被せるはずの笠がこすれる音がしなかった。
その足音は、サクッサクッと僕の方に近づいてくる。雪の音が強くて距離感が掴めないはずなのに、なぜだかその音だけははっきりと聞き分けられたのだ。
「いたいた」
いきなり目の前から声がしたかと思うが早いか、目にこびり付いていた雪が少しずつはがし取られていく感覚がした。驚きのあまり、僕の心臓はおおきな音をたてる。何かが雪を削ぎ落としていくその振動が少しずつ僕の目元に近づいていき、あとちょっとというところで一気に残りの雪をはがし取られた。僕は瞬きを繰り返して、ボヤけながらもようやく視界に映ったものを認める。そこに二つ並んでいたのは、心の奥をぐっと掴むような澄んだ瞳だった。
「あっちゃん」
小さな頭、触れずともわかるその滑らかな庵治石の肌、どこか艶かしさを感じさせる体のライン。あっちゃんは、僕の目の前数センチの距離で静かに微笑んでいた。またしても驚きの鼓動を一つうった心臓は、そのままドコドコと妙な鼓動に変わっていく。あっちゃんを構成するそのすべてが、最後に会った十年前となんら変わらずに、むしろ魅力をより増して僕の目の前に立っていた。