小説

『ウイメンの水死体』紗々井十代(『ブレーメンの音楽隊』)

 「私も付いて来ちゃ悪かったかしら」
 馬兎がこっそり訊くと、犬ヶ丘は大丈夫だと答える。
 「ごめんね。いつもはもっと愛想がいいはずなんだけど」
 猫錦の部屋は物が少ない。椅子と机とベッド。それから三面鏡のついた茶色い化粧箱。カーテンが白の無地なのも、がらんとした印象がある。
 「座って」
 ブスッと言い放たれ、二人はフローリングに(床にはカーペットさえ敷いてない)座した。一つだけある椅子には猫錦が腰かけた。
 「何をそんなに怒ってるんだい」
 犬ヶ丘は遠慮がちに訊ねた。
 「別に怒ってない」
 その返事は相変わらず不機嫌そうだった。そのまま二人とも黙っていると、ため息をついて猫錦は続きを話す。
 「ただ面白くないだけ。どうようもないことだから」
 「どうしようもないこと?」
 「私は自分が美しいのがたまらなく好きなの」
 だけどこれを見て、と彼女は自身の鼻横を指さす。滑らかな白い肌なのだが、そこにはほうれい線が浮かんでいた。
 「こんなの昔はなかった。でも今はある。実は白髪だって混じってきた。こうして私達どんどん老いて醜くなるから。それが、どうしようもなくてムカつくんだよね」
 静かに、だけど激しく。猫錦はそう言った。冷たい怒りを胸に抱いているようなその姿さえ美しいと、馬兎はひそかに感銘を受けたのだった。
 ふと、犬ヶ丘が馬兎に視線を投げた。
それが何を訴えるものか、無言のうちに汲み取ると馬兎は頷いた。
 「それじゃあ。こういうのはどうだい」
 それから犬ヶ丘は努めて軽い調子で口を開く。
 「私達はこれから海へ行って、自殺しようと思っているところだけど。君もご一緒にどう?」
 突然の提案に猫錦は目をぱちくりとした。
 「老いるのが嫌なら、美しいうちに死ねばいいんだよ。今の君だって十分美しいと思うよ」
 美しい彼女はしばし考え込む。
そんなことちっとも考えたことがなかったのだ。
「なんで犬ヶ丘は死ぬの?」
「レポートが忙しいからだよ」
 思わず笑いそうになるのをなんとか堪えた。レポートが忙しいから死ぬなんて馬鹿馬鹿しくて、でも猫錦にとって元気の出る話だった。
 美しいうちに死ぬのは、ブリザーブドフラワーと似て思えた。
 「分かった。私も一緒に死ぬことにする」
 猫錦は深く頷いて椅子から立ち上がった。
 「だけど二人とも。私には最後、別れを告げたい人がいるの。いい?」
 馬兎と犬ヶ丘は快く了承した。

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