小説

『いつかいた鳥』森な子(『青い鳥』)

 菜穂ちゃんは目に見えない鳥を飼っているのだという。例えばカット野菜の袋を開ける時、その鳥にキャベツの端くれをあげなきゃ、と思うらしい。例えば爪を切るとき、ぱち、ぱち、という音に合わせて、見えない鳥が相槌を打つように囀るらしい。鳥の名前はソラマメといって、真昼の青空を鏡で映したような、鮮やかな青い色をしている、らしい。
 ソラマメは昔菜穂ちゃんが実際に飼っていたセキセイインコで、インコの平均寿命を三倍してもまだ余る二十三年も生きたくせに人間の言葉を一つも覚えず、ただ毎日それは楽しそうに鳴いていたそうだ。
「たぶん、ちょっとおばかのほうが、長生きするのよ。人も、動物も」
 菜穂ちゃんはソラマメの話をするとき、必ずそう締めくくる。
 ソラマメが死んだのは一年前、冬の寒い日だったそうだ。弱り切って歩くのもやっとなのに、菜穂ちゃんが名前を呼ぶと重たい体を引きずるように飛んできた。もともと飛ぶこと自体もそんなに上手な子ではなかったらしく、体が弱ると輪をかけて下手になり、その痛々しい姿を見るのがなにより辛かったと菜穂ちゃんは言う。
 そんなに飛ぶのが下手で、ちゃんと神様のもとに行けたのかな、と私が言うと、そうねえ、と菜穂ちゃんは笑った。案外自分が死んだことに気が付かないで、まだこの部屋にいるかもねえ。
 ソラマメが死んだのとほぼ同じ時期に、私はここへやってきた。菜穂ちゃんは私の母の年の離れた妹で、二十八歳のちょっと童顔な、ぽやんとしたかんじの女の人だ。
 ここへ来た当初、私は十六歳だった。母がいけない薬をたらふく服用して警察のお世話になってしまったので、はてどうしたものかと困り果てていた時に菜穂ちゃんが現れた。私は母に妹がいることなんて知らなかった。いや、母のことで知っていることの方が少ないが。とにかく、警察の人にもうすぐあなたのおばさんにあたる人がくるよ、と言われたとき、おばさん?と首を傾げたものだ。
 母の妹というだけで、私の菜穂ちゃんに対する不信感はものすごかった。きっと派手な金髪で、眉毛を全部剃っていて、だらけたジャージ姿で、煙草をふかしているに違いない。そんな風に思いながら憂鬱に思っていると、予想に大きく反して現れた菜穂ちゃんはなんだかとても清潔感があった。
 長い髪をふわふわに巻いて、白のハイネックセーターに黒いスカートを履いて、耳元には深い青色のイヤリングがゆらゆら揺れていた。栗色の髪に、ぱっちりとした大きな瞳を持った菜穂ちゃんは、童話に出てくるお姫様みたいにも見えた。
「はじめまして、こはるちゃん。あなたの叔母の菜穂です。今日から一緒に住むんだよ」
 その柔らかくてあたたかい声を聞いて、私はなんだかほっとしてしまって、情けないことに泣いてしまった。ずっと母の怒鳴り声や、警察の人たちの探るような声を聞いていたので、ただ純粋に私を気遣うように微笑む菜穂ちゃんが女神さまのように見えたのだ。
 菜穂ちゃんは私が泣き止むまでずっと手を握ってくれていた。それから、もう嫌だ、疲れた、私がなにしたっていうの、と駄々をこねる私に代わって、警察の人と話をしてくれた。この子はまだ高校生です、もう遅いし家に帰らせて頂きます、ときっぱりと言ってのける菜穂ちゃんの小さな後ろ姿は頼もしかった。

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