小説

『いつかいた鳥』森な子(『青い鳥』)

 菜穂ちゃんは精いっぱい私を気遣いながらそう言った。私は、自分のことをさんざん苦しめた母親に対して良い印象がまるでないので、菜穂ちゃんのその母を気遣う言葉が嫌だなと思ったが、そういう私の面倒くさい気持ちをちゃんとくみ取ってくれている、ということがじゅうぶんすぎるくらい伝わってきたので、べつにムカつきはしなかった。
「私ね、どうしてもソラマメと暮らしたかったの。どうしてあんなに必死になったのかわからないけれど、でもあの時の幼い私にとって、ソラマメを奪われることはこの世の終わりみたいに思えた。それで、大泣きしたの。ソラマメと一緒がいいって。私はまだ幼かったし、そういうことも考慮して母は姉じゃなくて私を連れていくことにした。家を出る朝、私、姉の顔が見られなかった。父と二人で暮らすことになる姉のことを、本当に不憫だと思った。それで、幼いながらに、自分がいなければ姉が母と暮らせたんだな、ってことがわかって、なんだかものすごくいけないことをしてしまったような気持ちになったの」
「でも、菜穂ちゃん、まだ五歳だったんでしょう。しょうがないよ、そんなの」
「私も、もしこはるちゃんの立場だったらそういうと思う。でも、しょうがないで済まされてしまった姉のことを思うと、なんだか私」
 菜穂ちゃんはそれきり黙ってしまった。
 昔からいつもイライラしていて、口をひらけばすぐに怒鳴って、お酒を飲んだり煙草を吸ったり、私に見向きもしなかった母。母ももしかして、自分の父親に同じことをされたのだろうか。もしくは、母親に。助けてほしいのにその言葉が出ずに、一人で抱え込んだことがあったのだろうか。
 菜穂ちゃんはたまに考えるそうだ。もし自分が父に引き取られていたのなら。もし姉が母に引き取られていたのなら。ソラマメを欲しいと自分があのとき泣いたりしなかったのなら。
 私は、なんだかかわいそうだな、と思った。菜穂ちゃんも、母も。

 その日私は学校をさぼって散歩をしていた。朝起きた瞬間から「よし、今日はさぼろう」と思っていたので制服は着ずに、菜穂ちゃんのお下がりのグレーのセーターと、足にぴったりフィットするスキニージーンズを履いて、ぽかぽかと温かいお日様の下を歩いた。
 母が捕まってから私はよく学校をさぼるようになった。学校の先生たちは私に同情してか、怒ったりしてこない。どころか、「ゆっくり気持ちを落ち着かせることも大事だからね」と言ってくれる。菜穂ちゃんと暮らしはじめたことで私の気持ちは既に傷ついたりはしていなかったが、そういわれるならとお言葉に甘えまくってのんびりとした日々を送っている。
 私が学校をさぼると菜穂ちゃんはちょっと心配そうな顔をする。
「お友達と喧嘩でもしたの?勉強についていけないとか?」
 べつにそのどちらでもないので(勉強はまあ、好きではないが、人並みにはできる、と思う)、私はいつも「いやあ、今日は天気がいいしさ」とか「昨日撮ったドラマみながらお菓子食べたいなって」とか素直なことを言う。菜穂ちゃんは呆れたようにため息をついて、けれどいつも最後には笑って「しょうがないなあ」と言ってくれる。

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