小説

『ピンクの雫』柴垣いろ葉(『アリとキリギリス』『さくらさくら』)

 そんなはずはない。そう思いなおすとキリギリスは、この件について考えることも、公言することも、なにかとてつもなく悪いことであるかのように思われてきました。さっきまでの震えも、きっと秋の寒さのせいでしょう。
 キリギリスは、けがをしたアリのことも、そのアリが最後に言った言葉の事も、暗くなるころには、もうすっかり忘れることにしてしまいました。
 キリギリスが「死」について考えるには、きっとまだ、早すぎたのです。

 
 あたりはもうすっかり色を失い、地面は一面乾いた土色で染められていました。太陽は何日も顔を出さず、灰色の日々が続きます。この頃になってくると、キリギリスにはもう歌う元気もなくなってきていました。食べ物の草もわずかしか見つかりません。
「これが冬か。いつまで続くんだろう。」
 キリギリスはアリオ君のもとを訪ね広場に向かいました。
「キリギリス君、最近元気がないようだね。」
 アリオ君は、キリギリスを見るといいました。寒さのせいでしょうか、その黒い顔にうかんだ表情は、いつもよりも冷たいように感じられます。
「食べ物がすくなくなって、困っているんだ。君たちはどうしているの?」
「僕たちは春の間から、ずっと食べ物を保存してきたるから平気なのさ。ほら、こんな風に。」そういうとアリオ君は、丸い塊をキリギリスの前に出しました。
「たべものと体液を混ぜて、こね合わせたものなのさ。そうだ!キリギリス君も、草と泥を混ぜ合わせて団子をつくるといい。そうしたら冬をのりきれるさ!」
 こうして、キリギリスの冬ごもりがはじまりました。
 川からもってきた泥を、草とすり合わせて、団子をつくっていきます。冷たい泥と草とを緑色の細い腕で何度も何度もこね続けます。
 そうしてこね続けていると、草と泥とが混ざり合い、乾燥させればなんとか保存できそうなものができあがりました。しかし、キリギリスの身体は、長い間泥をこね合わせていたために、ボロボロにすり減って緑色から土色に変わっていました。
 それでもキリギリスは、アリオ君から言われたことを信じています。
「これで冬をのりきるんだ」
 次の春が訪れたら、いったい何をしよう。
 冬を乗り越えた後のことを思うと、ボロボロの身体とは対照的に、心は希望に満ち溢れてくるのでした。
 キリギリスは、小さな穴倉で眠ります。
 アリオ君が、この寒さの中外で寝るのはよくないとつくってくれたのでした。穴倉で寝ころんだキリギリスは、自分の手をじっと見つめます。

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