小説

『ピンクの雫』柴垣いろ葉(『アリとキリギリス』『さくらさくら』)

 アリオ君もすかさずいいます。
「そうだけど、君はそれをただ‘知った’というだけで、なんの準備もしていないじゃないか!僕たちをみてごらん。今日もこうしてせっせと死んだセミを運んでいるんだよ。」
 アリ達は春から夏の終わりにかけても相変わらず、たべものをあの黒い穴の中へと運び続けていました。
「キリギリス君は、近頃歌ってばかりじゃないか。」
 確かに最近のキリギリスは、セミのけたたましい鳴き声に対抗するべく、自身も自らの出せる限りの大声で歌を歌うような日々をおくっています。
「君の歌はきれいだけど、セミたちの命をかけた大合唱には適わないさ。」そういわれて、キリギリスは、がっくりと肩を落とします。
「何が違うんだろう。彼らの叫びと、僕の歌とは。」
 キリギリスが考えこんでいるとアリオ君が言いました。
「ほら、そんなことを考えている暇があったら、君も冬の準備をしなくちゃね。」
 しかし、キリギリスは、もうアリオ君の話を聞いていませんでした。耳に入ってくるのは、あの忌々しいセミの叫び声。その野山全体を圧倒してしまうほどの力に、キリギリスは敗北感を感じずにはいられません。「いつか僕の歌もあんな風に野山を包めたら…」

 

 夏は短い。
 アリ達はいよいよ冬に向けての追い込みをかけ始め、保存できそうな食べ物は、なんでもその黒い穴の中へと運び込むことに懸命でした。
 一方キリギリスは、川原へとやってきていました。
 夏のころ、けたたましく鳴いていたセミ達は姿を消し、かわりに鈴虫たちの控えめな鳴き声が響いています。セミの鳴き声にあんなに憤慨していたキリギリスですが、今はどこか物寂しさを感じるようになっていました。
 キリギリスは、川辺に腰をおろすとそのままゴロンと横になります。
 頭上には、雲一つない青空が続いています。キリギリスは、ゆっくりと目を瞑って川のせせらぎに耳を傾けました。風が吹くと、木の葉がハラハラと落ちてくる気配を感じます。キリギリスは呼吸に集中します。時折、あのセミ達の声がどこかから聞こえてくるような気がしても、身体に感じる薄ら寒さがそれを否定しました。キリギリスは、もう一度、鳴き疲れ力尽きた彼らの姿を思い返します。セミ達は、鳥についばまれるか、アリ達の巣の中でバラバラにされて保管されているのだろうか。そう思うと、川のせせらぎでは誤魔化しきれない虚しさや恐怖が心の中にこみ上げてきて、キリギリスは思わず目を開け身震いしました。 目線を真上に移すと、葉っぱたちが見たこともないほど美しい色に姿を変えて青い空を漂っています。
 キリギリスは、その空に向かって自分の緑色の手をかざしました。
「少しまえまでは、この葉っぱたちも、みんな僕と同じ色だったのになあ。」

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