小説

『・・・の会』きぐちゆう(『桃太郎』)

 あの声。悲鳴?吐きたくて吐瀉物で口がいっぱいなのに唇をテープで塞がれているようなあの声は、妻の声に似ていた。袋は薄く張切って俺を包む。生温かく生臭く、どくんどくんと脈を打つ。全裸の俺に粘液が絡む。馬鹿なと思った瞬間に記憶の断片が蘇った。誰かが俺を押し込もうとする。袋の口を広げる。甘酸っぱい匂い。頬を摺るざりざりとした感触は体毛ではなかっただろうか・・・そんな馬鹿な。身長180センチの俺が158センチの妻の中に入る筈がない。甘酸っぱい妻の匂い。俺は今、妻の胎内に居る。俺は吐いた。尿も出した。俺を包む狭い世界の中に。

 ・・・あ、あ、あ。何度考えてもそうなっちまう。仮に、仮にそうだとすれば、すごく馬鹿な考えだが無理やり常識に押し込めば、俺は十か月後に妻から産まれるのか?自然分娩じゃなくて帝王切開だろう。

 耐えられない。られる筈がない。いや、そもそもそんな筈がない。俺は騙されているんだ。精巧に出来たゴムの袋に入れられて、妙な暗示を掛けられたんだ。誰かが言ってただろう。もう一度、赤ちゃんからやり直せばいいのにねぇ。年配の女が優しい声で。そうですね、と妻が答えていた。これはきっと妻の復讐なんだ。
 「ヴヴああぁぁぁぁ」
 嘘をつけ。
 「ヴヴああぁぁぁぁ」
 早く俺を出せ。
 「ィィィィいいいいぃあやぁぁぁ」
 俺は慌てて手足を引っ込めた。世界が裂ける気配がした。薄く薄く張切った皮膚が紙のように裂ける気配が。
 「いいんですよ」
 また別の声がした。

 「貴方は今、とても理不尽な扱いを受けています。逃げ出したいと思うのは当然の権利です。苦しいでしょう、怖いでしょう。貴方が何をしても私は責めません。出ていらっしゃい。新鮮な空気を吸いたいと思いませんか?温かい風呂と食事も用意しましょう」
諭すような労うような、人生の年輪を重ねた男の声。品の良い老紳士の姿が浮かぶ。
 「会社も心配しています。風邪で休みということになってはいますがね。電話にも出ないので皆さん困っていらっしゃいます。貴方が必要なんですよ」
 それ見ろ、部長との折り合いが悪くても、俺が居ないと仕事が回らないんだ。この声は誰なんだ。
 「そんな女もういいじゃないですか。後始末は私たちがしてあげますから、さぁ頑張って。もう少し強く力を入れればいいんですよ」
 こいつはやれと言っている。自分が助かる為に妻を殺せと言っている。
 「正当防衛じゃないですか」
 何て正しい事を言ってくれるんだ。
 待て。
 罠じゃないか?

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