小説

『・・・の会』きぐちゆう(『桃太郎』)

 現場に駆け付けた刑事が顎でくい、と生存者を示す。無理だろうなともう一人が答える。
 四十過ぎと思しき中年の男が弛んだ腹を晒して全裸で丸まっている。膝を抱えてちゅぱちゅぱと親指をしゃぶり、時折心配そうに周囲に目を泳がせる。
 「クスリでもやってんのか気が狂ってんのか。あれが演技ならたいしたもんだ」
 「通報受けて駆け付けた時も道路の上でああやってたって話なんで、犯人てことはないでしょう。車があんなに潰れてんのに、あいつだけ奇跡的に無傷らしいです」
 「とにかく見るに耐えんな」
 男は救急車の中に座っているが、肩に掛けられたタオルがずり落ちても直そうともしない。年長の刑事が近づいてしっかりと体を包んでやると、
 「ばぶぅ」と嬉しそうに笑った。
 「犬山先輩、なつかれたみたいですよ」
 「馬鹿言うな。雉田、何か身分証は出なかったか」
 現場検証していた鑑識に声を掛ける。
 「遺体にも車内にも、免許証その他身分証になるものは一切見当たりません。ただこんな物が見つかりました」
 ピンクの封筒で、宛名シールに女性の名前が印字されている。
 「二名の遺体が女性ですから、これがどちらかの名前なら手掛かりになりますね」
 若い刑事が手袋をした手で封筒の中身を探る。
 「中は空かぁ」
「俺にも見せろ猿川。差出人は・・・の会。血がついて読めないな」
 年長の刑事の携帯が鳴った。画面のメッセージを見て、無視する。
 「先輩いいんですか?」
 「ああ」
 メッセージは家からだった。今日は何時に帰るかだと。珍しいな。いつもは自分が何時に帰ろうが、居ようが居まいが気に留めないくせに。

 刑事の妻は返事のない携帯を手に溜息をついた。壁に掛かったカレンダーの日付に丸印が付いている。
 <結婚記念日>
 夫婦の仲は長い。忙しい夫に構って欲しい妻は一時期荒れて、鬼嫁とまで呼ばれたが、今や仲は冷え切ったのを通り過ぎて無温度だ。
 「今日にしたかったけど、延期だわね」
 子どもはなく夫は不在がち。独り言が癖になっている。一本電話を掛け、通話を終えてもう一度溜息をついた。
 「ご主人が生まれ変わります、か。何してくれるのかしら。けど変な名前ね、ももたろうの会だなんて」
 何か素敵な事が起きると良かったのに。仕方なく微笑みながら、ピンクの封筒を箪笥に仕舞った。

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