磔にされたイエスの項垂れた大理石の首と足がやたらリアルだった、白檀みたいな匂いのする古い教室でのとつぜんの出来事。
カジモトにとってそれは突然にやってきた。
<ド>は、ドーナツのドやろ、きょうび。<レ>いうたら檸檬のレや。そう決まっとるやろがって、カジモトは胸の中で叫んだ。あんまりあほやったから、とあるカトリック系の小学校に編入させられた、とある教室。
よそよそしいクラスメートが歌う、<ドレミの歌>。それもぜんぶ英語で。
みんな1年からこれを歌うてるから、なんら迷いはなかったのだろう。
おかしいことになってますよって、誰も思わへん。
高らかに、声を合わせる。
ここは<トラップ一家か? 先生はマリアかい>って頭の中でツッコんだ。
「わからなくていいのよ。はじめてなんだから。よーく聞いていてね」
学院のシスターマリアはのたもうた。
聞くさ。それは、聞くしかないよね。だって歌えないんだもの。耳を澄ます。
カジモトはえ? <ド>はドーナツのドとちゃうの? え? <レ>は檸檬のレやろ。って思った瞬間、胸のあたりがどくんどくんと脈を太く速く打った。ちゃうの? ちゃうの?
<♪ドゥワーディアーアフィーメルディア、レイア、ドロップオブゴールデンサン>と彼らが歌い始めた時、あかん俺の心臓持たへんかもって思った。
焦ると心臓がゆれるのが、カジモトは自分でもわかった。そしてなぜかその時、檸檬の香りがあたりを覆った。理由はわからなかった。
カジモトは、焦りが強い時と居たたまれない時、決まって、心臓のあたりからそのストレスの度合いに応じて檸檬の香りを放つ。
歌を口ずさむ口元の彼ら。<ティー、アドゥリンクウィズジャマンドブレッ>のくだり。どこからか檸檬の香りにみんな気づき始めたのか鼻くんくんの犬みたいな顔で響かせる<ドレミの歌>。
学院のマリアがくれたB5の訳詞。
<ドゥは雌の鹿よ。レイは金色の太陽の光。ミーは自分の名前を呼ぶときの名前よ>って、ふざけやがって。
檸檬の香りはしばらく、教室の白檀の匂いと混ざり合っていた。
それが一度目。
二度目は、メキシコのユカタン半島にあるセノーテという泉を訪れていた時だった。太陽の光がまっすぐ差し込んでいた。青白い光の帯が貫いている。