小説

『亀の甲羅が割れた顛末』三号ケイタ(『くらげの骨なし』)

 竜王が血相を変えてやってきた。
「何事で、ございますか」
「猿が、生き肝を忘れたというのじゃ」
「ほう、どういうことでございますか」
「肝を地上の木の上に干しておいたというのじゃ。それが雨に降られると大変だと言い、しきりに泣いておるのだ。猿から取り出さねば生き肝にならんというのにじゃ。おぬし、どうしたらよいと思う」
 それは一大事である。生き肝がなければ乙姫の病は癒やされない。亀はそう思いながらも、しかしどこかその気になれずにいた。
「・・・生き肝がなければ猿を殺したところで何も得られませぬ。私が取りに参りましょう」
「そうしてくれるか」
「承知、いたしました」
 広間に戻ると、猿が頭を抱えていた。海月や魚たちも顔をいっそう青くして、立ち尽くしていた。
「どうしたのだ」
 亀が声を掛けると、猿は頭を振りながら言った。
「しまった。わしは自分の肝を木に干して来てしまったのじゃ。あれに雨がかかると溶けてしまう。今すぐ腹にしまわねばならんというのに、ここにおるのではどうしようもない」
「わしが行って取ってこようか」
「おぬしは木には上れんだろうが。貴重品だからの、わししか触れんところに置いてある」
「そうか。では、わしがおぬしを陸に連れて行くゆえ、肝を取ってこればよかろう」
「ほ、本当か」
「うむ。では背に乗るが良い」
 そう言って亀は猿を促した。亀は猿を乗せると、流れる水に乗って深い水の上へと進むのだった。

 道中二人は無言だった。ただ、亀は何度か後ろを振り返って、猿にすべて話してしまおうかとも思った。そうしてもし、あわよくば、猿には逃げてほしいとも亀は考えるようになっていた。しかし、猿を騙して連れてきたことを考えると、言うに言えなかった。「なあ、猿公よ」
「どうした。もう、つくのか、ん?」
 まだ海の上の光すら満足に見えないというのに、猿は必死で顔を前にだした。その様子が必死であったのと、しかしその大きなそぶりに、亀はどこか妙な違和感を覚えた。生き肝を干すという考えは、海中の生物にはないものである。つい先ほどまで亀も、慌てながらその一方で、そういうものかと新鮮な気持ちでいた。しかし、果たして生き肝を体から出して生きていられる生き物などいるのだろうか。あの時猿は、広間で狼狽しているばかりだった。

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