小説

『第二ステージ』戸田鳥(『時計のない村』『金の輪』小川未明)

「還暦まで生き延びないって意味さ。第一での人生においては」
 頭部の宣告によって僕は本来の寿命を知った。もし第二ステージに来ずにあのまま人生を続けていれば。僕は部屋でひとりになると、鏡に向かい五九歳の僕と対峙した。寿命。その言葉に晩年の僕は目をぎらつかせた。死という言葉にはたしかに甘美な響きがあった。少年が危険な毒薬に憧れるのに似ている。
 しかし、ここ第二ステージには死はない。未来も過去もない。過去がないということは、僕の記憶はなんなのだろう。子供時代の風景や、長い学校生活の出来事は切れ切れでしか思い出せない。家族や友人の顔もはっきりとは蘇らない。第二ステージに来て思い出せる顔といえば、一人しかいないことに気がついた。

 
「何のご用ですか」
 骨董屋の店主は訝しげに僕を見た。
「先日、申請にいらした方ですよね」
 店主の態度に、僕は戸惑いながらもほっとした。少なくともこの人だけは、僕が一度旅立ったことを覚えている。
「戻ってきたんです。ちょっと、教えていただきたくて」

 戻るのはたやすかった。ボート置き場に降りれば瞬きする間に、僕は以前住んでいた部屋にいた。うすぼんやりしていた記憶の解像度が一気に上がる。過去に吸いこまれ分解される恐怖を覚えた。胃が締め付けられ、トイレに駆け込み便器に吐いて、戻ってきたことを実感した。
 僕は職場を訪ねた。彼女はあの日と同じように、僕を見つけて言った。
「第二ステージへ行くことにしたんだって? 羨ましいなあ。あっちに行ってもまた遊びに来てね」
 同じだった。
 僕が別れを告げた同じ日なのだった。彼女はだから、僕が舞い戻ってきたとは思いもしない。僕は日が変わるのを待って、再び彼女に会いに行った。同じ服の彼女から同じせりふを返された。何度試しても今日が昨日へと移ることはなかった。同じ表情同じせりふが繰り返されるだけだった。さすがに気持ちが挫けた。

「そういうものです」
 骨董屋の返事には温情のかけらもない。
「なぜそうなのかなどと私に聞かないでください。私が知ってるのは、第二へ移動した日を、申請者は所有できるということだけです」
 僕が存在できるのは、手持ちの一日だけということなのか。

 カッチコッチ
 コッチコッチ
 カッチコッチ

 てんでばらばらの針の音が、僕をあざ笑っているようだ。

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