僕はこれまでに二度、死にかけた。
最初は生まれた時。母親のお腹から出た僕は呼吸が止まっていて、生後数分で暗闇に逆戻りするところだった、らしい。二度目はつい先月。自転車に乗っていて、横につけた車が確認もせずに開けたドアによって道路に叩きつけられた。頭を打って意識を失い、救急車を呼ばれ手術台に乗せられ、今回もギリギリで乗り切った、らしい。死線をさまよう経験を二度もしたのに、どちらも死ぬ間際の苦しみを覚えていないのはラッキーだ。臨死体験とやらがなかったのは残念だが、帰ってこられただけで良しとしなければ。
ともあれ、二度の生還を果たした僕には、ひとつのご褒美が与えられた。第二ステージへ行けるようになったのだ。
第二ステージからはいつでも戻ってこれる、そう聞いていたから、僕は迷わず申請をした。あちらへ行けば、生活の心配がなくなることが約束されていたからだ。それより何より、失恋したばかりの僕にとっては、旅立つ場所はどこでもよかったのだ。
別れを告げに行った職場で、彼女は仕事に忙しそうだった。それでも僕の決断を聞くと、「羨ましいなあ。あっちに行ってもまた遊びに来てね」と笑顔で送ってくれた。が、僕としては、笑顔よりも悲しい顔を見せてほしかった。営業用のせりふでいいから寂しくなると言ってほしかったのだ。そんな未練を引きずるようにして、僕は役所へと向かった。
二度の生還を証明する書類を提出してから、かなり待たされて案内された委託先は、何度かその前を通ったこともある町の骨董屋だった。窓にはいつもカーテンがかかっていて人の出入りもなさそうなので、廃業しているものだと思っていた。重い扉を開けて足を踏み入れると、くすぶった色合いの店内には誰もいない。何度か声をかけるが返事はない。ほこりっぽいのか立て続けにくしゃみが出た。
カッチコッチ
コッチコッチ
カッチコッチ
壁には時代がかった柱時計がいくつも掛けられていて、それぞれの針はそれぞれに適当な時間を指していた。陳列台には薄汚れた人形やらひび割れた皿やら用途のさっぱりわからない道具やらが乱雑に散らばっている。やはり営業していないのかもしれない。店の奥に場違いに清潔なカウンターがあったので、その上の呼び鈴を鳴らしてみた。ふいに床が揺れたような気がして地震かと身構えたら、店の中央を陣取っている巨大な置時計がその両針をカチリと合わせ、ボーンと低い音色を店内に響かせた。びりびりと振動が伝わってくる。僕は圧倒されて、鐘が鳴り終えるのをおとなしく待った。鐘は十二回に余分の一回を付け足して十三回目で終わった。鐘の余韻が消えるとともに、カウンター奥の暖簾が跳ねあがって、女性が顔を出した。僕よりいくつか年上だろうか。髪型や雰囲気がどことなく彼女に似ていると思った。僕の用件を聞くと、店主であるらしい女性はおもむろにパソコンのキーボードを叩いて、一枚の紙をプリントアウトした。意味不明の英数字の羅列。それを三十分以内に完璧に暗記するようにと事務的な口調で言告げた。前言撤回。愛想のよい彼女とは似ていない。
「覚えられない者に権利は与えられません」