小説

『no little red food』日吉仔郎(『赤ずきん(little red hood)』)

 言われた矢先、ばさっと中身が出て、鰻の身に山椒がたっぷりとかかってしまう。ぷっ、とお父さんが噴き出した。
 大丈夫、全体の四分の一にかかっただけだし……。
 自分に言い聞かせながら、山椒の多くかかったところを口に入れる。
 ――!?
 刺激は口の中で暴れ、お茶を飲んで中和しても、舌は痺れたまま、正座で痺れた足と同じように、しばらく感覚が戻ってこない。お父さんはもはや食べるのを中断して、口を押え、わたしを笑うのを我慢している。
 ああ、もったいない。鰻の身の四分の一は、四千円の四分の一だから、千円なのに……。
 このあいだ算数の宿題プリントでやったばかりの割合の計算は、思いのほか生活の役に立っている。

 鰻を食べ終わってから、わたしとお父さんは上野公園を歩いていった。
 寒くなって丸裸の桜並木も、青い空が背景ならそれほど悪くない。家を出たときの冷え込みは、午後になって日が差すにつれて柔らかくなってきた。
「絶好の動物園日和だ」お父さんは言う。
 そう、今日は鰻を食べて、動物園に行く。そういう予定だった。
 うーん、動物園。
「あれ? 尚子、動物好きだよな?」
 お父さんは予想していたほどわたしのテンションが上がっていないのに不安になったようだ。
「好きだよ」
 好きだけどね、わたしももう十二歳になるし、おとなっぽく、美術館とかでも良かったんだよ。もちろん上野動物園も、じっくり見て回ったことないし、パンダだって見てみたいし、楽しみでないことはないけど――。
 けれど結局は、かわいい動物のイラスト付きのゲートをくぐって、敷地に一歩足を踏み入れると、わたしがひた隠しにしていた子どもっぽさはすぐに表に出てしまった。左右をきょろきょろ見回し、人だかりを見つけては「なにあれ、お父さん、すごいひと」と指差し、ゲート前に置いてある園内マップをすばやく確認しては「お父さんあれパンダの行列だ、やっぱり人気なんだねー!」と早口で捲し立ててしまう。
 お父さんの顔を見て、時すでに遅し、と気付く。
 お父さんはすっかり子どもを見守るおとなの微笑みで「そうだな、パンダ、人気だな」と、先程とうってかわって、安心しきっていた。パンダより、わたしが喜ぶ顔を見るのが嬉しいというような。
 なんだかわからないけど、恥ずかしい、こういうのは。

 わたしたちももちろん話題の子パンダを見たかったけれど、子パンダはいまなお人気沸騰中で整理券を持っているひとしか見られないらしい。お父さんは行列を整理する動物園の職員さんから話を聞いて、わたしのもとに戻ってきて、「尚子、ごめん、整理券終わってるって」と肩を落とした。「そうなんだ」つとめて落ち着いて答えたつもりだけれど、あからさまにがっかりしているのは伝わるだろう。

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